見出し画像

がんばる、とはいったい何なのか

「無理をする」あるいは「自分が壊れるまでやる」ことは、誰も望んでいないし、だれからも頼まれているわけではない。今は就職先も決まってしまったし、親のこともあるし、何よりこれからの自分のために、辞めるわけにはいかないけれども。

でも、これからは、無理する必要はないと思う。「会社のため」「生活のため」「周りに迷惑をかけるから」って、いろいろな理由を考えて、無理をし続ける選択をしかねないけれど、誰も私に無理をしてやってほしいとはきっと思わないだろうし、嫌々やるくらいならやらないほうが何倍もマシだと思う。第一、自分の心に嘘をついて何かをやり続けようとしても、限界は必ず来る。楽しそうにやっている人には敵わない。どうやったって。

無理をしてやり続けることは、一見一種の美徳のように思えるし、はたまた、すぐに辞めるのは甘えだとも言われるかもしれない。でも、そんなことは全然ないのだ。嫌々やっている姿なんて、かっこ悪いじゃないの。

頑張りには有意義なものと無意味なものがあると思う。「情熱はある、だけど困難に立ち向かってしまったときの頑張り」なら、きっとちゃんと意味があるから、諦めずやればいいと思う。それを乗り越えることによる自己成長が見込めると思うから。

けれど、「情熱がなく、ただ誰かのためとか、辞めたら迷惑になるとか、そういった周りの事情だけを考えた頑張り」は経験上あまりいい方向へは転ばない。得られるものはきっと多くないし、辞められるならすぐにでも辞めたほうがいい。何も残らないから。おまけに身体と心が壊れる。あと、何度も言うけれど、誰もそんなこと望んじゃいない。

自分のために生き生きと生きる。機嫌がよくて、日々を楽しんでいる人のほうがかっこいいし、そういう人と一緒にいたいと周りも思っていると思う。

でも、時には、「情熱の伴わない頑張り」をしなきゃいけない時もあるかもしれない。どうしたって。そういう時は、その中でほんの少しでもいいから、自分がその「頑張り」の先に何を望むのか、何のために自分をすり減らしているのかを考えて、自分にとっての「頑張る」ことの意義を見出すこと。それが明確になったら、自分が望むことを実現するために必要となる最低限の力で稼働していけばいい。周りが何を望むかとかは考えないで、自分の限界を正しく把握し、それ以上は頑張らないと決めて。何度も言うけれど、無理をするのは好ましくないから。その中で、もし少しでも情熱が湧けば、そうしたら、エンジンをふかしていけばいい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?