ねこ

20代、社会人です。 もやっとしたときに、独り言のような投稿をしています。 書いている…

ねこ

20代、社会人です。 もやっとしたときに、独り言のような投稿をしています。 書いているうちに、見えてくるものを探して。。。

最近の記事

意見が合わない相手の価値観に自分の価値観を合わせていくことはすぐには出来ないし、難しいかもしれないけれど、相手の気持ちを慮って寄り添うことはできるんじゃないかなぁ

    • 自分の感情ととことん向き合った2021年

      あけましておめでとうございます。2022年なんて、響きがSFの世界みたいで、こんなところまで来てしまったか・・・みたいな不思議な気持ちになりますね。 そして昨年は、私にとって大切なことをたくさん学んだ一年でした。 具体的には、昨年は自分の感情ととことん向き合う年になりました。イライラが原因で、何度か人とも衝突してしまった。それでも、私の周りの人は誰一人私を見捨てず、きちんと向き合ってくれました。そしてそんな中でかけてくれた言葉が自分を見つめなおすきっかけをくれました。

      • 「いいね!」よりも「いいな!」で世界は広がる

        YouTube、インスタ、twitter・・・色々なSNSで要求される「いいね」。私も押した経験はある。でも、本当のことを言うと、「いいね」と心から思えないまま押していることもある。特に、知り合いか友達があげている写真や動画に対して、素直に「いいね」ができないことが多い。それらを見ると、もやもやと妬んでしまうのだ。でもだからと言って「いいね」をしないと、今度は自分の心の狭さに嫌気が差したり、友達が減って自分の世界が狭くなってしまうような気がしてくるので、結局ちょっぴりもやもや

        • 自分軸で生きる!

          日々色々な行動をして暮らしている中で、私は気がつくと自分を見失ってしまっていることが多い。研究室や恋人と過ごす中で起こす行動の動機が、いつの間にか全て「誰かのため」になっているのだ。「研究室のメンバーのため」、「研究室全体の環境のため」、あるいは「恋人のため」だと思って行動を起こすことが多くなっている。 一見すると、それはいい事のように思えるかもしれない。誰かのための行動は、常に美しいもののように思えるし、そう周りからも思われがちであると思う。 でも、そういう誰かのための

        意見が合わない相手の価値観に自分の価値観を合わせていくことはすぐには出来ないし、難しいかもしれないけれど、相手の気持ちを慮って寄り添うことはできるんじゃないかなぁ

          対話以外に分かり合う術はないのだということ

          私は感情や気持ちをうまく吐き出せないタチで、思ったことを溜め込み続けてしまう。冬眠前のリスみたいに、せっせこせっせこ言いたいことで口や心をいっぱいにしてしまうのだ。おそらく、それらの上手い伝え方がまだ分かっていないのだと思う。かと言ってそうしたものを無かったことにする術も持ち合わせていないので、結局外に出すことになるのだが、その出し方が最悪なのである。”感情の爆発”を起こしてしまうのだ。もはや子供と変わらない。 感情が爆発するとき、私はイライラで我を忘れ、ヒステリックになっ

          対話以外に分かり合う術はないのだということ

          イライラと向き合う

          イライラしてしまう場面ルールを守らない、あるいは自分の中で当たり前だと思っている行動に反した行動をしている人と対峙した時。 その時芽生える感情なんでこの人は○○しないんだろう(あるいは○○してるんだろう)。許せない! イライラに侵食される前に考えたいこと○それは八つ当たりかもしれない ・自分のことが上手くいっていなくてイライラしている。 ・お腹が減っている。 ・生理中だったりする。 〇第1に、そういうイライラ自体をぶつけるのはよくない。 〇まず落ち着く。冷静な自分にも

          イライラと向き合う

          自己肯定

          周りの友達や同期の成功体験を聞くと、落ち込んでしまうことがよくあります。私はそれらを耳にすると無意識のうちに、「それに比べて自分はダメだなぁ」とか「情けないなぁ」とか思ってしまうんです。これがとても苦しい。素直にすごいと思えたら素敵だと思うのですが、どうしても自分と比較してしまう。それと同時に素直に他人をすごいと思えない自分の心の狭さにも気づかされるので、余計に落ち込んでしまうのです。 特に最近、就職活動や研究生活の中で他者の成功体験を耳にすることが多く、その度にしんどくな

          自己肯定

          大丈夫になる

          夏は急に終わって、いつの間にか秋になっていた。 暑いのは苦手なので、涼しくなってきてきっと嬉しいはずなのに、心がざわついている最近。なんだか人恋しくなって泣きたくなってしまう。晴れているのに冷たい風、夜の虫の音、、、。そういうものが心をざわつかせて、寂しさを掻き立てる。毎年のことのはずなのに、今年はなぜか一層寂しいのだ。 それはきっと、時の流れを全身で感じてしまったからだろう。いつもよりも唐突に、夏が去って秋が来た様を。 あと半年で社会人という新しい立場になる恐怖、収ま

          大丈夫になる

          反逆精神

          これらかも続くであろう人生を、うまく想像できないときがある。今が行き止まりみたいな、そんな感覚がするのだ。極端な言い方をすると、いつでも終わらせられる気がしてしまう。車が身体の横をすり抜けたり、急行電車が目の前を通過するたび、終わらせられる可能性を考えずにはいられない。 私なりに頑張って頑張って、最終的にちょっと壊れて今に至る。期待していたのは、頑張りによって人生が開けることだったのに、一向に臨むほうへはいかなかった。 それでも、過去の自分は幸せな未来を想像して一心に頑張

          反逆精神

          がんばる、とはいったい何なのか

          「無理をする」あるいは「自分が壊れるまでやる」ことは、誰も望んでいないし、だれからも頼まれているわけではない。今は就職先も決まってしまったし、親のこともあるし、何よりこれからの自分のために、辞めるわけにはいかないけれども。 でも、これからは、無理する必要はないと思う。「会社のため」「生活のため」「周りに迷惑をかけるから」って、いろいろな理由を考えて、無理をし続ける選択をしかねないけれど、誰も私に無理をしてやってほしいとはきっと思わないだろうし、嫌々やるくらいならやらないほう

          がんばる、とはいったい何なのか

          心とともに生きていたこと

          私は心と生きている。心が身体を使い、意図したほうに動いている。 身体を健やかに保つには、栄養補給が不可欠だ。偏った食事ばかりでは、いつしか身体は壊れてしまう。 心だって、おんなじだ。実体がないから気が付かないだけで。 心は身体と違って、意識がある時間中、意図せず何かを取り込み続ける。目、耳、皮膚、そして頭が思ったことすべてを。いいものでも悪いものでも。愚痴や𠮟責やため息で、心が潰され続けていた。 そうしたものでいっぱいいっぱいになっていて、栄養補給を忘れていた。心に入

          心とともに生きていたこと

          正しい「悩み」の取り扱い方について

          最近、「なんかつらいなぁ」とか、「なんかうまくいかない」とか、そういう漠然とした「悩み」を抱えていることがよくある。加えてそういうことを考え始めるときは、もっぱら頭や体が疲弊していることが多い。そんな状態で、時にはそれを聞いて共感してほしくて、私は「悩み」を周りに言うことがある。 そして気が付いたことがある。それは、相談相手がそれに対して「共感」ではなく「解決策の模索」をしてくれるということだ。すなわち、どうしたら解決できるかを探し、それを見つけ出そうとすることで、もやもや

          正しい「悩み」の取り扱い方について

          備忘録:現在の、書くことに関する私のポリシー

          口調について初めて記事を書いたとき、すべての記事を「である調」または「ですます調」で統一するか否かで悩んだ。口調も書き手を印象付ける大きな要素になると思ったからだ。初めは統一しようかなと思ったが、記事をいくつか書くうちに、内容によって用いたい口調が違ってくることに気が付いた。これといった法則性はまだわからないが、自分の心理状態と言いたいことに合わせて変えていくのが今は一番いいと感じたため、記事によって変えることにした。 書く内容について書くことが無いタイミングでひねり出そう

          備忘録:現在の、書くことに関する私のポリシー

          悔しさとその昇華の仕方について

          なにか優れたものを見た時、心から楽しんだり凄いなと思ったりすることが出来ずに、「悔しさ」を抱いてしまうことがある。するとたちまち、それを見たり聞いたりするのが苦しくなってしまう。 私は、自分がやっていることを自分より上手くやってのける人に対して、強い悔しさを覚える。私は大学時代、アカペラサークルに所属していたのだが、私より歌が上手くて楽しそうにやっている人を見ると、真っ黒な感情がむくむくと湧き上がって来るのを感じた。置いてきぼりにされているような、仲間外れにされているような

          悔しさとその昇華の仕方について

          夢に導かれて気付いたこと

          先日の雨の夜、夏なのに涼しいのがうれしくて、私は散歩に出かけました。 私は元来散歩が好きで、一日に少なくとも一回は外に出ないと元気がなくなってしまう質です。昼の散歩も素敵だけれど、私は夜のほうが好きだったりします。道行く家々に灯る明かり、人気のない暗い道とその静けさ、そういったものが好きです。夜の世界に身を置くと、不思議と気持ちも落ち着きます。そんなヒーリング効果もあって、心がざわつくときはもっぱら夜に散歩をします。普段、散歩のルートはその時の気分に合わせて行き当たりばった

          夢に導かれて気付いたこと

          不安性とそのお守り

          私は心配性である。心配性というか不安性というか。とにかく日常生活のふとした時に色々考えてしまうたちである。 そんな中で新たな懸案事項である「コロナ」や「温暖化」が出現し、私の頭はさらに忙しくなってしまった。とにかく常に何かが怖い。 この不安性を打破するための方法を色々と考えていた時、ふと歌手のあいみょんさんのある曲の歌詞を思い出した。 「その時考えりゃいい」というのがそれで、これは「夢追いベンガル」という曲の歌詞の一説である。この歌詞を思い出した時、確かにそうだよな、と

          不安性とそのお守り