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備忘録:現在の、書くことに関する私のポリシー


口調について

初めて記事を書いたとき、すべての記事を「である調」または「ですます調」で統一するか否かで悩んだ。口調も書き手を印象付ける大きな要素になると思ったからだ。初めは統一しようかなと思ったが、記事をいくつか書くうちに、内容によって用いたい口調が違ってくることに気が付いた。これといった法則性はまだわからないが、自分の心理状態と言いたいことに合わせて変えていくのが今は一番いいと感じたため、記事によって変えることにした。

書く内容について

書くことが無いタイミングでひねり出そうとするときもあった。けれど、思わず書いてしまうタイミングで書いた方がスラスラ書けるし、そういうものを書きたいと思っている。そういう瞬間にたくさん出会える生き方をしたいと思う今日この頃。

伝え方について

考え方を伝えるときは断言しないように気を付けている。自分の考え方が絶対ではないということを忘れないために。自分の思っていることを「~だ」「~すべきだ」と断言してしまうと、考えが凝り固まった偏った人間になってしまうように思う。そして自分とは違う人を受け入れるという姿勢や、他者から学ぶという姿勢を失ってしまう気がする。私は極力「みんな違ってみんないい」という姿勢でいたいと思っているし、「そういう考え方もあるよねぇ」と何事も受け入れられる人でありたいと思っている。そっちの方が自分自身も相手のことも縛り付けることなく楽に生きられると思うからだ。


話の流れについて

書きたいことが頭の中で”もやっと”現れたとき、それをそのまま書いていくと、意図しない話の流れになっていることがある。あれ、こんなことを言いたいわけではなんだけれど、とその文章を見て我ながらびっくりする。いわば迷子みたいな。私はどうやら話をきれいにまとめようとする癖があるらしい。そうなると、自分が言いたかった結論ではないところに着地している。それはそれできれいにまとまっていていいんじゃないか、なんて感じることもあるけれど、私が書く理由はきれいごとを言いたいためではなく、自分の心にあるものを正確に文章化して表現したいからだ。だから、自分の心ととことん向き合う。妥協はせず、自分の心をなるたけ正確に文字に起こすことができるよう、自問自答を繰り返す。妥協してしまっても、それは誰のためにもならない。本当に言いたいことは何なのかということをじっくり考えるようにしている。

追記

句読点の位置、形容詞や副詞を置く位置で文章の内容だったり印象は大きく変わると感じる。推敲を怠らず、自分を正確に伝えたい。



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