或る物書きの一筆――わたしが「収穫」となった日――
序
いささか時期尚早と自認こそしてはいるが、愈々書かねば己の心内が収まらない。或る種の衝動によってこの文章は書かれているのだと思っていただければいい。
魔的跫音
高校一年生、冬の時分である。
環境、人間関係、果たされるべき本分のいずれにも順応できずにいて、ひたすら自責と鬱屈に取り憑かれた。そして頂点に達して、とうとうある真夜に病院へ搬送された。
食事制限はなかったものの、怒涛のように行われる検査と制限された余暇時間はまさしく責苦であった。加えて「献身」の二文字を体現した看護師の押す車椅子が、この身を移動させる唯一の方法であることが、わたしの身に脆弱を痛烈に叩きつけた。
終わってみればたった三日の入院生活とはいえ、わたしはこの身に課された「高校生」としての領分さえ、己の役者不足ゆえに真っ当にこなせぬまま病院へ送られ、移動も娯楽もままならない三日間を過ごした。
だが入院生活中に、幽かだが強かな光芒の一筋が、わたし目掛けて射したこともまた忘れてはならないのだ。
「おまえはこのまま死ぬのか?」異形からの一言
入院してすぐの真夜。今にも眠らんとするわたしを呼ぶ声があった。しかし担当医のものでも、看護師の声色でもない。まして親族の持ち物でもありはしない、突き刺すように青い義憤の声であった。
「このまま普通に死ぬのか」そう呼ぶ声の主には姿がない。しかし幻聴にしてはあまりに科学的であった。
「おまえはこのまま普通に死ぬのか」呼ぶ声は強くなる。しかし語り掛けているのだと理解した。
「嫌だ」と返すわたしにすかさず
「ではどうするつもりだ」とつっけんどんにするあの声があった。
わたしは結論をとうの昔から出していたかのように、極めて明快な覚悟の音でもって返す。
「生きて物書きになりたい」
わたしが物を書いたのは入院と時期を同じくした高校一年生の時分であった。遥かに他者の背中を見て息を切らし切らし走る、わたしの無力さを証明せんとする裁定に、ただ物を書くという行為だけが断固として反駁を唱えていたのだ。
そうだ。わたしが物書きを夢見て、実際に物を書く理由。それはあの突き刺すように青い義憤の声に、虚心坦懐を描いてみせたいからであり、物を書いてみることが、すなわち自分の生存を満たすたった一艘の歴史の舟であった。
おわりに
23の齢を刻もうかという2024(2684)年の4月に、硬直したような疲労につき纏われたあげく嘲笑されながら、不図自分の痛ましき記録が顔を出してきたのです。
わたしの身があまりに弱かったがゆえ、過去わたしの周囲にいた社会適合者たちによって、理屈なき抑圧と暴力、殺人的な無視にさらされるがままの、思い出すことも飾り立てることもしたくない、まったく劇毒のような記録です。
しかしこんにちまで、そのような劇毒入りの一斗缶が林立し、壁となり峻厳としている空間の中で、わたしが生き延びてきたこともまた事実です。
生存に対して懊悩する人々に、或いは現状の不変を嘆く人々に、生存と死滅を、鋼鉄製の天秤の両皿に置いてその重量を知ろうとする人々に、わたしはわたしの生きる姿と、生存への執念を見せたいのです。
もしあなたが最も生きたいと思えるものを見いだせたのだとしたら、遠慮なく見いだしたままに生きてください。
それではどうぞ自分らしく。
収穫
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