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一時停止ボタンの押し方

前回の記事から随分時間が経ってしまったけれど、引き続き『7つの習慣』のおさらいを兼ねて。長くなってしまった…。

押せない一時停止ボタン

子供を怒ってしまう。心の中では「感情的に怒ってるわ〜」って呆れてるのに、抑えきれずついグチグチ説教してしまう。

もともと売られてない喧嘩まで買うような短気な性格。怒らないなんて無理ゲー。親としてこのままではまずかろうと、アンガーマネジメントの本を手にとってみたりした。

6秒ルール。怒りを感じたら、待つ。ふむ。
1、2、3、4、5、6…ドッカーン!
私の理解が浅いのも原因だけど、なかなか上手くいかない。

前回のnoteでも紹介した『7つの習慣』という書籍には「一時停止ボタン」というものが紹介されている。

【反応的な行動】刺激→反応・行動
【主体的な行動】刺激→一時停止ボタン→反応・行動

ある刺激に対して、感情的に即反応するのではなく、一時停止ボタンを押して思考することで、その後の反応や行動は主体的に選ぶことができるというもの。

一時停止ボタン。押そうと何度も努力した。
でも、忙しい、疲れてる、心配事があり心に余裕がないと、つい怒ってしまう。
一方、心に余裕があると、一時停止ボタンを押せる。そして、優しくできる。

イライラ母、奇策に走る

一時停止に成功したこともある。以下の2つのようなケースだ。

①片付け問題を運動会BGMで解決
派手に散らかしたうえ絶対に片付けない娘。片付けろ!さもなくば捨てるぞ!と怒鳴るのがお決まり展開。怒鳴りたくないから試行錯誤してきた。
・ご褒美シール作戦。全シールを貼られ失敗。
・兄妹で競争作戦。途中で遊び出し失敗。
・おもちゃさん泣いてるよと情に訴える作戦。ふーんと言われ失敗。
万策尽きた…と思っていたある日。娘が園で運動会の練習をしたと言ったので、片付けタイムに運動会BGMを流してみた。娘、猛スピードで片付け開始。パブロフの犬現象!?以後、BGMで怒鳴る頻度が減った。倍速再生で効果も倍増。

②兄妹喧嘩を偽インタビューで解決
仲良し兄妹だが時折喧嘩する。娘は泣きながら全力で無罪を主張。兄は部屋の隅で運動座りで完全黙秘。傾聴を…と思いつつ、仲裁のはずがいつしか説教に。
ある日、インタビュアーになりきって双方に話を聞いてみた。今日はお2人にお話伺っていきます!まず●さんです、こんにちはー!早速ですが、どうして泣いてらっしゃるのですか?次に●くんに話を聞いてみましょう!拍手でお迎えください!あ、もう少し大きい声でお願いしますね、カメラはあちらです。え?トイレですか?では一旦CMでーす。…この辺りで2人とも笑い出し丸くおさまる。以後、喧嘩の気配を察するたびに私がマイクを構えるので、こじれなくなった。

作戦を思いついたときには、私って天才!と思った(自画自賛)。そしてすぐ我に返り、これは心に余裕があったから生まれた奇策だなと思い直した。
でも、本当にそうなのか?奇策は心の余裕からしか生まれないのか?
ここに、自分の思い込みがある気がした。

心の余裕とはなんぞや

心に余裕がないから、怒ってしまう。心に余裕があると、一時停止ボタンを押せる。そう思っていた。しかし、上記の作戦を思いついたとき、私に余裕があったかというとそうでもない。そもそも、家事育児をしていて余裕があるタイミングなんて皆無だ。

運動会BGM作戦を思いついたときは、就寝前。散らかった部屋を眺めながらスマホで明日の天気を調べてて、片づけなさいって言うの面倒だなぁと思いつつ、ふと思い立ってYouTubeの検索バーに「運動会」と入れてみた。ただそれだけ。インタビュー作戦を思いついたときも確か料理中でバタバタしていて、ちょうどテレビでインタビューをやってたから真似をしただけ。心に余裕があるというより、意識が怒りの外側にある、そんな印象。

一方、怒ってしまうときの私の脳内は怒りが充満していて、怒っちゃダメだ、怒っちゃダメだ…と、必死にブレーキを踏みつけながら試行錯誤、でもうまくいかず足が疲れ、気づけばアクセルを踏んで雷を落としてしまう、そんな状況。

私にとって一時停止ボタンは、ブレーキのように思いっきり強く押さないと発動しないものという認識だったのだ。一時停止ボタンは怒りを抑え込む手段。爆破を解除するためのボタン。

・・・そりゃ、固くてなかなか押せないわけだ。

一時停止ボタンは視界の斜め上あたりに

冒頭の「7つの習慣」の一時停止ボタンをおさらい。
【反応的な行動】刺激→反応・行動
【主体的な行動】刺激→一時停止ボタン→反応・行動
私はこれまで何度も一時停止ボタンを押してきたつもりだったが、それは勘違いだったようだ。『怒っちゃダメだ』と思っている時点で、怒るという行動(反応)に囚われてしまっている。そこからどんなに足掻いて他の行動を取ったとしても、それは一時凌ぎ、最終的には怒ってしまう。勇み力んで押していた目の前のボタンは、残念ながら自分の反応が投影されたダミーのボタンだったのだ。

本物のボタンを押すには、怒りに囚われている自分を客観視したうえで、視点を変えてみる必要がありそうだ。一時停止ボタンは、目の前にはない。本物は視界の斜め上あたりにある。怒りの感情に囚われそうになったときには、このことを思い出すようにしたい。常に奇策を思いつくことはできないとしても、ダミーボタンを押し続けて指が攣る過ちは減らせそうだ。心の余裕という再現性の低いものに頼るのではなく、反応している自分に気づける力を身につけていきたい。


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