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「幸せ」とはそのものの「美しさ」に気づくこと。

今日、朝目覚めてから今まで何度「幸せ」と言葉にしただろうか。

50歳になる私は過去を振り返り、きゅっと胸が痛くなることがある。
「幸せ」だと思っていたことがなかなか持続せずに、「幸せ」になるためにあれやこれや動いては葛藤を生んでいたからだ。これまでの私は

結婚すること
子どもを産むこと
海外へ行くこと
週末家族で出かけること
美味しいごはんを食べること
仕事で成果を出すこと
誰かに褒められること
病気をしないこと
困らないこと
悩まないこと

今思うと、自分が何かを得たり、得ないようにすることが「幸せ」の基準だったな。だから時に思うようにいかないとき、イライラしたり、鬱々したり、誰かのせいにしたり、必要以上に自分を戒めたりしていたな。

もちろん今でも自分が何かを得たり、得ないようにしようと努力するなかで「幸せ」と感じることはある。けれどもそれは一時の幸せだ。それをすればエネルギーを感じる、ということ。

50歳になる今はものの見方や考え方がその頃とは違い、もっと持続可能で循環が生まれるものがいいと感じるようになった。

好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかの二極ではなく、好みがどうであれ、相手の態度や行動がどうであれ、そのものの中に「美しさ」を見出した時に、何とも言えない幸福感が全身を包む。(もちろん自分自身の内側でも同じことが言える)

特別何かをしたわけでもなく、お金がかかることでも時間を使うことでもなく、一瞬をとらえるだけでいいのだ。何ともエコ!

目の前で私を怒鳴りつける人や、態度がよそよそしい人、泣きわめくこども、突風が吹きものが飛んでいるさまなど。どんな一瞬の中にも「美しさ」は存在する。その「美しさ」をそのまま見出す目、その音をたどる耳、そのものの存在を受け止める鼻、それを味わう舌、それを総合して感じる肉体。私たちはすでにその「美しさ」からエネルギーを享受している。

この一生であと何度「美しい」(幸せ)とつぶやくのだろうか。

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