神崎琴音

「琴線に触れる」の琴です 俳優、歌い手、歌唱指導、詩、エッセイ、インターネット、アルコ…

神崎琴音

「琴線に触れる」の琴です 俳優、歌い手、歌唱指導、詩、エッセイ、インターネット、アルコール、情緒、愛

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自分との約束を思い出すとき

ときどき、夢見るように自分の手をかざして見つめることがある。 この手が、みんなみたいにきれいだったら。 白くて、傷一つなくて、大写しになっても写真に耐えうるような手だったら。 きっと、結婚指輪がよく似合うんだろう。 わたしは物心ついて以来一度も、両手からアトピーの傷がなくなったことがない。正確には違うのかもしれないけれど、わたしの手が汚くなかった時のことを、わたしは思い出すことができない。 自我が芽生えてからずっと、自分の手は汚いと思っていた。入れ替わり立ち替わり現れるひ

    • 孤独と距離の詩

      さざなみの届かない場所まで、きみがぼくの手をとって走った、希望も、欲望も、絶望も、きみの前ではただの白紙で、何もないことがぼくの特別、どうか一度だけの瞳をぼくに差し向けて。

      • 触れることの詩

        生きるための呼吸に必要な星のひかりのひとすじ、繊細ということばに軽々しく頼らずに触れる地面のつめたさ、愛は安寧ではないもののはずだった、一生分の身体をあげるから、夜明けの色に支配されたい。

        • 睫毛がはげても

          マスカラで上手く上がったわたしの睫毛を友人がふざけて引っ張るので、「抜けちゃうよ、はげる、笑」と言ったら、 「睫毛がはげても変わらず一緒にいてあげる」 と返ってきた。 「睫毛がはげても変わらず一緒にいてあげる」 こういうのって、詩だよなあ、と思う。 変わらず一緒にいてあげる、 自分の存在があるということがわたしにとって喜ばしいことなのだと、淀みなく身軽に確信しているのが良い。 ふと日常からこぼれる詩だけを集めたTwitterを遺品としてインターネットの海の上に作るから

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        自分との約束を思い出すとき

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          31歳という地点から振り返る景色

          去年生前葬をして、20代のきらめきを存分に成仏させてから、少女性というものへの苦しい執着がすこしだけ、いや、かなり、手を離れたような気がしています。ほのかに寂しい気持ちはたしかにありますが、それよりはるかに、やっと視界が開けたような清々しさがそばにいてくれるようになりました。 今年は面白いことがどんどんやってきて、わたしのそばにいて、通り過ぎていきました。わたし(の内面)もおそらく驚くほど変わりました。変わればそばにいる人や馴染みの場所も変わるもので、去っていくものたちへの

          31歳という地点から振り返る景色

          理科室の詩

          生きていますか、という問いはとても残酷で、きみのかじるりんごの夕焼け色がひりついて痛かった、味方でいてね、離れないでね、今日に至るまでの臆病を綴ったカルテ、いつまでも輝きとは無縁の僕でいたかった。何度、あと何度、この世界に生まれていないみたいに笑えるでしょう。

          理科室の詩

          さわれる思い出と電子書籍

          最愛の恋人からの初めての誕生日プレゼントは何?と共通の知人によく聞かれたが、彼がくれたのはKindle端末だった。 その思ったよりずっと実用的な贈り物との距離感は、最初こそ戸惑ったものだが、アマゾンプライムスチューデントに加入しているわたしとは相性が良く、殊に風邪を引いた暇な病床で横になったまま次々と作品を購入しては読めるというのが良かった。 7年が経った。 今年で31歳になるわたしだが、ここ数年とんと読書ができていなかった。 脳をTwitterに侵されているのは前提

          さわれる思い出と電子書籍

          いつまでもわたし

          「いろんな人やものにすごく気を遣って生きてきたんだね」 と言われて、涙が出た。 もう、自分の幸せだけしか考えなくていいとしたら、何がしたい? 死ぬまで歌い続けたい。 光って、光って、光って、死にたい。 わたしは特別な女の子。 あなたにとって、特別。 でも、一番は、わたしにとって、特別。 美しくなりたい。 なってもなっても足りない。 セックスのある世界に生まれてよかった。 セックスを通して見えるあなたが好きだ。 セックスしても見えないあなたが好きだ。 わたしにだけは全部

          いつまでもわたし

          女性性の詩

          ほがらかなあなたを見ていられるというそのことが、わたしの祝福でした、きれいな色しか使わずに描いた絵に触れられないのはうつくしくも尊くもない過去があるからだなんて、簡単に言えるきみはかわいい。

          女性性の詩

          男性性の詩

          たとえば、と言うそのときに、たとえられなかった無数のものたちを感じるから、僕は永遠に存在から離れられず、永遠に僕のままだった、きみのみちたりている顔を見る、そのときにだけ純粋でいられたなら。 ぱちん、と日常が弾ける音がして、その隙間から光が差す、刺すときにこそ存在があり、生きているがあって、だからかみさまは存在しない、ぼくだけを見て、とまぶしくはちきれそうなわがままを言えたなら。 そこにいないことがきみの存在を引き立たせていて、ぼくはそれをいつまでも覚えていられるくらい賢

          男性性の詩

          春のまどろみの詩

          いつも同じ注文ね、と笑われるのがほんとうは嬉しかったから、ぼくは涼しい顔でちいさなフルーツパフェを食べていた、あの日はそう、暖かく乾いた風が吹いていて、不安なんてないみたいだったね、ぼくは巡礼するように、今日も死なずに生きているのです。 完璧な希望について、そんなものはないよときみが寂しそうにほほえむとき、東京は雨が降っていて、生きるための明日を部屋の隅に置き忘れてきたみたいだった、一生味方でいてね、叶わなくても願ってしまう。 ほがらかな夜、その中心には恋をする花が一輪あ

          春のまどろみの詩

          そばにいることの詩

          明かりもつけずに窓辺で本を読むきみの、ぼくなんて必要ないみたいな瞳の輝きを、永遠におぼえていたかった、おぼえているということはあいしているということで、愛は振り解けないから、滴のように滴り続ける。 離れる、と、離ればなれになる、どちらかを選ばなけれはならないとしたら、僕のこころをきみが選んでほしい、明日も雨が降るみたい、後悔しないと誓ってみたかった、どこにも行けないのはきみの愛が部屋に散らばっているから。 最初の一歩ですべてが変わる、そう思っていたからぼくはきみの側をすり

          そばにいることの詩

          東京の点、線、面

          大学1年生のときに入り浸っていた、池袋の「いつものラブホ」。彼はスタンプカードを貯めていて、5個で休憩無料、10個で宿泊無料になるから、わたしたちは大分その恩恵に預かっていた。 「いつものラブホ」はホテル名なんて覚えていなくて、西口を出てあの繁華街を抜けて、あのコンビニを曲がって、あのいつも賑やかな飲み屋さんの角を左、次に右。毎度それだけで十分だった。 のちにその賑やかな飲み屋さんは中野と新宿に支店があることを知り、数年後に別の恋人と行ったペンギンカフェはその斜め向かいだ

          東京の点、線、面

          わたしが東京にいる理由 #ALT図書館

          『#ALT図書館』というTwitter企画に参加させていただきました。 写真: 水憂@wasureru22 企画: はしこ。@hasiko_、無限@chan_mugen わたしが東京にいる理由 「演劇がしたいならここにいちゃだめ。ここには何もない。」 体感としてはもうこちらにいる人生のほうが長いような気がしていたが、まだ地元にいた年数のほうが断然長いのだった。物心ついてからをカウントすることにすれば、やっと半々くらいか。とはいえ、現在のわたしの自我が芽生えたのは25

          わたしが東京にいる理由 #ALT図書館

          詩/また同じ

          汚い、汚い、汚い、 性を綺麗に言い換えただけの愛、そこには含まれずにこぼれてしまう愛、 自分の引き出しの乏しさと、子宮口の微かな痛み、混乱の中にもたち現れるのは自分の愚かさ、また恋愛、薄ぺらい、 毎度毎度懲りずに同じ理由ばかりで泣いている、愚かしい、通り一遍の、繰り返し、繰り返し、 全てなんて吐き出せないけれど、魂の抜けたような気だるい身体でそれでも思うのは歌うこと、歌うことなんだよ、シンプルな脳みそに生まれついたことに感謝だね、 興奮の水面が収まっていく、また、「わ

          詩/また同じ

          世界のすべてを愛したかった

          泣きながら「好きだ」と言った記憶がある人は世界にどのくらいいるだろう。きっと掃いて捨てるほどいるだろう。わたしもその、「掃いて捨てるほど」を経験した、ありふれた人間のひとりだ。 ポリアモリー、なんて言葉がわたしの人生に輸入されたのはごくごく最近、30歳も視界に入ってきたここ数か月の話で、肩こりの概念がなかった昔の日本には肩こりがなかったというが、言葉がなければ概念は存在しないのだった。 「月が綺麗ですね」。 今となってはあまりに擦り切れさせられてしまった愛の言葉だが。

          世界のすべてを愛したかった