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自分の気持ちに素直になって、進んでみる。 《50代のモノローグ -monologue in my 50s-》

このnoteを始めたものの、前回書き綴ってから二週間近く間が空いてしまった……。
書きたいことはいっぱいあるのに、なんかうまくまとまらない。
そんな、言い訳めいた思いが頭に拡がる。
いや「めいた」ではなく、間違いなく「言い訳」だ、これは。

何を書こう?
物語の軸は何にしよう?

いろいろと考え込んで、手が止まる。
ちょっとイケていない、いつものクセが出てしまっている。
ついつい考えすぎたり、気負ってしまったりする。
この真因もわかっている。
カッコつけようとしているから。
カッコよく文を書こう、こんなこと書いたらどう思われるかな、みたいに体裁を気にする気持ちが心の底にある。
行動が鈍ったり、動くことが億劫になるのは、このことが原因だと気づいている。
頭ではわかっていても、なかなかこれが改善できない。
根深いからだ。
古い鍋底にごってりこびり付いた焦げのように、小さいときから積み重なった「思い込み」。
いま、この「思い込み」の焦げを、とにかく地道に剥がしている。

私は、いま53歳。
1年前に29年勤めていた会社を辞めて、今までとは少し違う路線を歩くことを決めて現在に至る。
今まで体験したことの中で感じたこと、思ったこと、それが次の路線の糧となっていること、そんなことを書き綴りたいと思い、このnoteを始めたつもりだった。

で、いきなり頓挫した。

どうやって続けていこうか、あれこれ考えていたとき、ふっとある言葉が浮かんだ。
タイトルめいた言葉。
それが「50代のモノローグ」だった。

自分の歳での語りごとなので、イメージは50歳代の独り言のようなもの。
そんなことを思っていたからだろう。
モノローグという言葉を、てっきり「独り言」とイメージしていたが、ちょっと違っていた。
演劇で、登場人物が自らの行動の動機、決意、心理、といったものを表現する独台詞(ひとりせりふ)という意味だった。
なんか、「独り言」とするよりも、しっくりくる感じだし、響きもかっこいいので、モノローグという言葉を使っていくことにした。

面白いもので、この言葉を思いついたとき、ふとそれまで気負っていた感覚が抜けたようになった。
「この言葉を軸としたら、いろんなことが書けるかもしれない」
そんな気持ちになった。
実際、いまようやく「これ」を書いている。

「タグネームをしっかりとつけましょう。それが自分の軸になります」
これは、私が心の師匠と思っている「魂の軍師」の言葉だ。
これを思い出した。

だから、「50代のモノローグ」を、このnoteのタグネームにする。
ここで書くことの指標というか、軸というか、それを示すもの。
こうした軸が明確にあると、不思議と行動というか、頭や心の整理がつきやすいようにも感じる。

そして、タグネームといえば、もうひとつある。
プロフィールでも使っている「ことはじめ」だ。
今年の1月に、このタグネームを立ち上げた。
これからの我が道の指標となるものだ。
そして、いまこのタグネームの実現と、それを育むことを軸とすることを決めて動きだしている。
会社を辞めてから1年経ち、ようやく形をつくりだすような雰囲気だけど、そこは迷うことなく「やってみたい」という気持ちが強い。

自分の軸を見つけること、その軸に「タグネーム」を示すこと、これって本当に大事なことだ。
心の中で、モヤっとしていた雲のような漠然とした思いに、輪郭線が描かれ形が明確になっていくようだった。
明確になるから、一歩踏み出せる。

「人生100年」と言われりゃ、いまの年齢はほぼ半分だ。
まだまだ先は長い。
自分自身をこれから先、何をどうして生きていこうか、という思いがどんどん積み重なっていった、そんなタイミングで希望退職の応募があったので、ほぼ迷うことなく応じた。
過去をリセットして、新しい生き方するにはちょうどいいタイミングかもしれない、という思いだけの行動だ。
本当にただの「思い」だけで、明確かつ詳細なプランなんて全く何もない。

そこから、いろんな人や場の手助け、そして家族の深い理解があって、自分の軸に出会った。

果たしてどうなっていくのか、これは自分でもわからない。
とにかく「これが自分の素直な気持ちだ」と思える軸を見つけたので、その軸でまずはやれるところまでやってみよう、という思いだけだ。

そんな思いや、これからの出来事で感じたこと、思ったことを、飾らずとにかく気兼ねなく書いていこう。
それが、「50代のモノローグ -Monologue in my 50s-」だ。

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