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なぜ学ぶのか?安岡正篤先生や荀子の言葉から考えましょう

今日は、「どうして学ぶの?」というお話をしたいと思います。
初めに、安岡正篤先生のこの言葉をご紹介します。
 
学は己(おのれ)の為にす
己を為(おさ)むるは安心立命を旨とす
志は経世済民(けいせいさいみん)に存す
志を遂(と)ぐるは学に依(よ)る
学に依って徳を成し材を達す
成徳達材(せいとくたつざい)を立命する
(安岡正篤)
 
 
もう一つ、「荀子」からもご紹介します。
 
夫(そ)れ学は通(つう)の為に非ざるなり。
窮して困(くる)しまず、
憂(うれ)えて意(こころ)衰えざるが為なり。
禍福終始(かふくしゅうし)を知って惑わざるが為なり
(荀子)
 
 
この意味は、
学問というものは、立身出世等のためにするのではない。
窮しても苦しまず、どんな心配ごとがあってもへこたれずないためにするのだ。
何が禍いで何が幸福か、どうすればどう終わり、どう終わればどう始まるのかという禍福終始を知って、人生の複雑な問題に直面しても惑わないために学問をするのである。
 
学問は、良い学校に入るためにするとか、お金儲けするためにするということが一番大切な目的ではなく、周りの人や国民が安心して生活できる世の中にするという志をもって、人生の複雑な問題に直面しても惑わないためにするものなのですね。
この学ぶという事について、渡邉五郎三郎先生のご講演録からご紹介します。
 
禍福終始というものをしって惑わない。
どんなことがあっても動揺しない。
学問修行を通じて、所謂 不動心というものをしっかり身に着けて、
世の中に自分をどう役立てていくのか。
天から与えられた自分の使命とは何であるのか。
これらを打ち立てることが立命なんです。
これこそが学問修行の基本です。
 
更に、
 
その志というものは、経世済民、世の中のために、
他の人々のために役立つことを胸中深く堅持していないといけない。
そしてその志を遂げるためには学ばなければならない。
 
「学に依って徳を成し材を達す」
 
学びによって自分を磨き、持てる能力を発揮できるようにする。
 
自己を磨いて養い、
自分の能力を最大限に発揮できるようになるのが立命なんだということです。
 
『書経』微子篇にある「自ら靖(やす)んじ、自ら献ずる」、
 
まさにこのことなんですね。
安心立命なんです。
物事に動じないい不動心を持つ。
 
「小人(しょうじん)窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る」、
 
こうしたことがない自分をつくることが大切なんです。
 
また、
 
世の中の毀誉褒貶(きよほうへん)というもの、褒められたり貶(けな)されたりしても、世間の評判に翻弄されない、侵されない自己をつくる。
 
これによって世の中に献じてゆく、世の中のお役に立つことができるんです。
 
 
(渡邉五郎三郎先生講演録「先哲の教えに学ぶ 人としての生き方」より)
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世の中のためになる役立つ人間になれるよう、精進したいものですね。
 

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