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#6 成仏していなかった母の知られざる胸中

この連載は、長年生きづらさを抱えていた私(KOTOBUKI)が、セラピストのKANNA(かんな)さんとの出会いをきっかけに、初めて自己の内面と深く向き合い、本来の魂の道を生き始めるまでの完全実話の手記――。

すでに4年前に亡くなっている母親が、いまだ成仏しておらず、今もこの世界にとどまり続けていると、サイキック能力があるKANNAさんに教えてもらったのが前回のお話↓↓

その後、KANNAさんから、驚くべき言葉が発せられた――。


理解に苦しむ、母の思い


母がいまだ成仏していないと聞いて、ただただポカンとしている私に向かって、KANNAさんはこう解説してくれた。

「まず、成仏してないということは、“思い残しがある”ということなんですよね。お母さんは、生きているときからたくさんの負の感情を抱えていて、重たい波動になっているんです。ちなみに、今はKOTOさんに対して、恨みに似た気持ちもありそうですね

え、えええ? またもや、ポカンである。

なんで、母親が私を恨むんだろうか?? 
まったくもって理解ができないんですけど……! 

長年、母のために力を尽くしてきたこの私が、なぜ恨まれなくちゃならないのか、理解に苦しんでしまった。

母は、60代半ばで脳梗塞を発症し、後遺症から左半身が動きにくくなってしまった。年を重ねるごとに歩くこともままらなくなり、次第に車いす生活に。さらにはアルツハイマー型の認知症にかかり、ちょっと前の記憶が一切出てこなくなってしまった。

実家で母と同居する姉と、東京に住む私とで、介護ヘルパーさんや訪問看護師さんの力を駆使しながらも、なんとか綱渡り状態で面倒を見続ける日々……。

身の回りの面倒を見るだけじゃない。母に少しでも楽しい時間を過ごしてもらいたくて、たびたび食事や旅行にも連れて行ってあげていた。

33歳から12年もの間、東京から実家まで隔週で往復する遠距離介護は、私の身も心も消耗させた。

どれだけ、母のために時間もお金もエネルギーも割いたか知れない。こっちが恨むならまだしも、恨まれるなんて……。

「KANNAさん、私、母から恨まれる筋合いないんですけど、なんでですかね?」

努めて冷静を装いながら、問いかけた。

母が生前抱えていた“寂しさ”を初めて知る


KANNAさんは、母の心情を読み解いてくれたのか、少し間をおいて、こう伝えてくれた。

「お母さんは旦那さん、KOTOさんからするとお父さんとの関係にだいぶ悩まれていたみたいですね。旦那さんから愛されている感覚とか、大切にされている感覚が得られなくて、ずいぶん寂しい思いをしていたようです」

「そうだったんですか。ああ……でも、なんとなくわかります。父は昭和ひとケタ台の昔気質の人で、愛情表現に乏しいと言いますか。俺に黙ってついてこいという感じで、威厳というか威圧感があるんですよね。

ただ、根は優しくて家族思いだったんですけど、何しろ肝心な自分の思いを話さない人だったから、母はそれが寂しかったのかもしれないですね……。いやぁ、でもですよ、父に恨みを持つならまだしも、なんで私なんでしょうか?」

「お母さんが言うには、お母さんが一番寂しかった時期というのが、KOTOさんが大学入学のために上京して実家を離れた後だったみたいなんですね。KOTOさんは大学に入った後、家に連絡しなかった時期とか、ありましたか?」

「はい。そりゃあ、晴れて花の大学生になれたわけですし、サークル活動も友達関係もめちゃくちゃ忙しかったので、電話もほとんどせず、実家にも帰りませんでした。

こっちでの生活を謳歌していたので、普通親のことなんて忘れますよね。むしろ家族とか実家とか、若干煩わしいと思っていたので離れられてせいせいしていたぐらいなんですよ」

「それが悲しかったみたい、お母さんは。一番つらかったときにKOTOさんに助けてもらえなかった。そばに居てくれなかったことに対して恨みのような気持ちを持ち続けているみたいですね」

グリグリと胸がえぐられそうだった。

何度も言うが、なんで私が母親から恨まれなきゃいけないのか、ホントに理解できない……。親って普通、亡くなったら、天国から子どもを見守ってくれるもんなんじゃないのかな……?

自分が誰かに恨まれていることも、しかも一番身近な存在だった母親から憎悪の感情を持たれていることにもショックすぎて、うなだれてしまった。

その様子を察知したのか、KANNAさんがフォローを入れてくれた。

「成仏しないでこの世界にとどまり続けていると、誰でも自分の中で負の感情が堂々巡りになって、それに飲まれてしまうものなんですよね」

なるほど……。そういうものなのか、と頭では理解しつつも、心がぜんぜん納得いかない。自分の娘に恨みの気持ちを向けるなんて、お門違いじゃないだろうか。

私はただただ頭が混乱して、黙り込んでしまった。

だけど、ひと呼吸おいて、冷静になって当時を振り返ると、母があのとき助けを求められたのは私しか居なかったんだろうな……というのは、想像がついた。

口数が少なく、いつも厳しい表情の父には怖くて、本音が言えなかったんだろうし、姉はキツイ性格で母とぶつかってばかりだった。母と姉は犬猿の仲だったから、そりゃ頼りたくもなかったんだろう。

一方、末っ子で姉と比べて温和でひょうきんな性格の私。母にとっては唯一、家族の中で頼みの綱だったんだとは思う。

KANNAさんは、いつものようにニコッと微笑むと、私の右隣のあたりを指さして、こう言った。

「実はお母さん、今そこにうずくまっているのが視えるんですけど、良ければ話してみますか?」

「ゲゲっ! 居るんですか?」

驚きすぎて、お尻が数センチ浮き上がってしまった。

死んだ母親がすぐそばでうずくまってるって、めちゃめちゃ怖いやないか。それに、ずっと恨みを持たれている母親と話すなんて嫌悪感しかない。

だけど、ほんの1割だけ、「ちょっと話をしてみたい」という興味も沸いてしまった。ほぼ野次馬根性である。

「私、母としゃべってみます」

私は意を決して、死んだ母と話してみることにした。

(トップ画像/著作者:jcomp 出典:Freepik)


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