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恋は戦争、私は敗戦国。


離婚届を出した。
この出来事も感じた事も、多分一生忘れないと思うけど、感情整理のためにまとめておこうと思う。


久しぶりに会った彼は、珍しくシワシワのTシャツを着ていて、天パの髪の毛は6月の湿気をふんだんに含み、葉加瀬太郎のようにボンバーしていた。
「あ〜もうだらしないんだから…」と、思わず手直ししてあげたくなるような、母性をくすぐる格好だった。狙っているなら100点だ。甘え上手の人たらしとは、まさにコイツのことだと思った。ムカついていたので、だらしないシワの1つも当然直してなどやらなかったけど。

一方私は、離婚届を出す日の正しいファッションもメイクも特に思い付かなかったが「ナメられないように強めのメイクにしよう」と思い、強めのアイライナーとCLIOのデカいラメをまぶたに乗せた。出かける前に鏡を見たら、顔がアラジンに出てくるジャーファーに似ていた。しかもパーティー用のゴールドラメが付いているから、パリピ のジャーファーって感じだった。肩に乗せる用の赤いオウムでも買っておけばよかった、なんとなく私の肩を持つ味方になってくれていたかもしれない。

まぁそんな感じで、葉加瀬太郎とジャーファーは合流した。

ハッキリ言って、この時点でも私はめちゃくちゃイライラしていた。議論はあれど慰謝料少ないわと思っていたし、協議書も作ったけどどうせ払わなくなるんだろうし、とか。もうコロナも落ち着いてきたし、どうせまた風俗通ってるんだろうな…とか。詳細はこれ以上書いたら吐きそう無理。

今更考えてもどうにもならないことばかり、考えても考えても上手く消化できずにいた。だから、離婚届を出したらもう他人に戻れるというのにも関わらず「会ったら、前歯折れるくらいぶん殴ってやる」くらいの気持ちでいた。

駅前の商店街を歩き、区役所へ向かう途中、「おめーなんかと一言も喋ってやるもんか」と謎のイキリを発生させていた私だったが、今日は今年初の真夏日。マスクをつけて歩いていた所、思わず「暑い…」と口から文句がこぼれてしまった。アラサーのぽっちゃりは暑さに何より弱いのだ。ジャーファーのパーティーメイクも滲まれては困る。

ふと見ると、目の前のお店にハンカチがズラリと並んでおり、私の好きな海洋生物(クラゲとかジンベイザメとか)の刺繍が入った可愛いハンカチが見えた。「あ、海の生き物かわいい〜」と思わず口から言葉が溢れた。アラサーのジャーファーは本物のジャーファーと違い、「戦略で黙る」ということが出来ない。黙ると死ぬ呪いにかかっていたようだ。

そんな私を見た彼は、突然、ギュッ!と私の手を掴み、デニム越しの己のチンコに押し当ててこう言った。


「ちょっとやだぁ〜////すーぐ俺のチンアナゴ触りたがるんだからぁ!!!」


数秒の沈黙のあと、私は思わず笑ってしまった。

彼はおそらく、並んでいたハンカチの刺繍にチンアナゴがあったことに気が付き、笑いをとりに来たのだ。私が小6レベルの下ネタに弱い事を知っていての犯行だ。このクソ馬鹿野郎、と思ったが、それよりも笑いが勝ってしまった。

怒りも憎しみも全て一回置いといて、「こいつ、クソ頭悪いな(めちゃくちゃ可愛いな)」と思ってしまった。 


恋は戦争、私は敗戦国。

負けたんだ、もう何もかも勝てない、と思った。
この状況で爆笑を引き出せるギャグセンス、度胸、能天気さ。全てがトリプルAだと思った。

もう怒るのは辞めよう。この人はこういう生き物だと思って接しよう。真面目な話が出来ない男なのだ。もういい、わかった。
どうか、ずっとそのままの君でいてください。
心からそう思えた瞬間だった。

たくさん傷ついたし傷つけられたし、一生許すことは出来ないと思うけど、それを踏まえても、この人のことを嫌いになれないんだろうなとも思う。
ありとあらゆる大人が教えてくれた通り、憎んでも恨んでも結婚していた事実は消えないし、過ぎてしまった時間も戻ってこない。こればかりはもうどうしようもない。だからもう、怒るのは辞めよう。チンアナゴの楽しいところだけ見るようにしよう、傷付かない距離で、楽しいところだけ、触れていこう。この人のチンアナゴも、こうして街中で押し付けてくるような柔らかい時だけ触ればよいのだ。ふにゃふにゃしてて、ぬいぐるみみたいで癒されるかもしれないし。(下品)


そんな気持ちで役所に離婚届を出した。
私の戸籍は少し長くなり、バツが1つ付いてヴィンテージっぽくなった。彼はバツが2つになったから、戸籍がアンティークだろうか。いや、それは良く言い過ぎだな。世のアンティークに失礼か。

役所の担当者は新卒なのかポンコツなのか、何度も同じことを聞いたり、説明がよくわからなかったりして、ぐだぐだだった。離婚届を上司にチェックしてもらったらしく、最終的に私達の離婚届は赤ペンやら黄色い蛍光マーカーやらでめちゃめちゃチェックを入れられて、受験戦争真っ只中の大学ノートみたいになっていた。
でも、この紙切れ一枚で、色んなことが終わる。


世間では、離婚することを「出戻り」と言うけど、いざ離婚してみて、私は「出戻った」とは感じなかった。
戻るどころか、進んでいると思った。全然戻ってない。めちゃくちゃ進んでる。人生が進んでいる。
そう感じたのは、わずか半年前の結婚式の時以来だ。ウケる。東京オリンピックが開催されるより先に離婚してしまった。令和に結婚して令和に離婚した人を、自分と加藤紗里以外、私は知らない。もういっそスピードスターと呼んで欲しい。「その早きこと風の如し」の風林火山にちなんで、武田信玄のタトゥーでも入れようかな。武田信玄の顔、よく思い出せないけど。


離婚届を出したあと、天気が良くて、なんとなく2人で空港へ行った。
コロナ騒動あけの羽田空港はほとんど人がいなくて貸し切り状態だった。展望台の望遠鏡に100円を入れて、海の向こうのディズニーランドや、山積みにコンテナが乗せられた貨物船を覗いた。
ゴールデンウィークみたいな快晴の空の遠く向こうに、真夏みたいな入道雲が浮いていた。


離婚する事で、執着を手放せるだろうか。

嫌いなものが、あまりにもたくさん増えてしまった。その理由を人に言うことはなくても、今まで好きだった色んなもののことさえ、正直嫌いになっている。それが辛いし、悲しい。

これからは好きなものをたくさん増やせるといい。ゆっくりでいいから、好きなものを一つ一つ集めたい。それが私にとっての治療になる気がした。


離婚は決して気分の良いものではないけれど、ひとつだけ確信したのは、意外にも「結婚は良いものだ」ということだった。

好きな人と四六時中一緒にいられる生活は、
好きな人の洗濯物を洗ってあげられる優越感は、
好きな人のために作る晩ご飯は、
好きな人のために歩み寄って暮らすささやかな日々は、
好きな人の最高も最低も、かじりつきの最前列で観れる「嫁」の特等席は、
「結婚生活」は。
どう考えても悪くなかったな、と心から思える。

今回、私の選んだ相手はあまりにも浅はかで愚かだったけれど、それでも「自分が選んだ、大好きな人」だったからしょうがないか、と思える所もある。
もしもスペック重視で結婚相手を選んでいたら、今頃ズブズブの泥沼裁判に挑むことになっていただろう。

今思えば、私の選んだ彼の「面白さ、明るさ」は、担保のようなものだった。いろいろ酷いことはされたが、こんな状況でも笑わせにくるイカれた明るさと、笑わせてくるギャグセンスには救われた。そこだけは認めたい。愛さなくても、認めることはできる。それでいいかなと思っている。


今日、私たちは離婚した。涙は出なかった。
チンアナゴをもぎゅっ、と掴んでしまった右手の感覚が、今もリアルに残っている。


犬飼いたい