見出し画像

エッセイ 「2006年10月24日 大阪 クリスマス」

1990年にシングル「Vision of Love」でデビューして以来、数々のヒット曲を世に送り出して来た、歌手マライア・キャリーさん。
彼女はこれまでにグラミー賞を5回、アメリカン・ミュージック・アウォードを10回受賞しており、ビルボードチャート1位の史上最多記録と、12個のギネス記録を持っています。
しかしそんなマライアさんにも低迷期がありました。
2000年代に入った頃から徐々にアルバムのセールスが振るわなくなり、加えて初主演映画もダダ滑りし、更には私生活においても幾多のトラブルに見舞われるなど、苦境に陥った時期があったのです。
しかししかし2005年、マライアさんはアルバム「The Emancipation of Mimi」をリリースして劇的な復活を遂げます。
ジャーメイン・デュプリ、カニエ・ウェスト、ネプチューンズら豪華プロデューサー陣を迎えて製作されたこのアルバムは、全世界で1,000万枚以上を売り上げる大ヒット作となりました。
そして翌2006年10月には待望の来日公演が行われました。
このツアーで公演が行われたのは、アメリカとカナダ以外では、チュニジアと日本だけでした。
マライアさんが親日家でホントに良かったです。
私ことぶきも10月24日に大阪城ホールで行われた公演に足を運びました。
…え、誰と行ったのかって?
ひとりで行ったんですよ。
ダメなんですか?
ひとりでコンサートに行っちゃダメなんですか?
私はゲージュツを鑑賞しに行ったんですよ。
ひとりのほうがじっくり音楽を聴くことが出来るでしょうに。
異論がある人は前へ出なさい。
…ほう。
キミたち、いい根性をしていますね。
一列に並びなさい。
目を閉じたまえ。
メガネをかけている者は外して。
歯を食いしばれ!
ビシ、バシ、ビシ、バシ。
…戻ってよし。

閑話休題。
ヒットアルバムを引っ提げてのコンサートですから、会場はもちろん満員でした。
若年から壮年まで客層も様々。
私の隣には5〜60代と思しきおばちゃん2人組がいらっしゃいました。
ライブが始まるやいなや、観客はすぐに総立ちになりました。
そりゃそうですよね。
座ったまま観たい奴なんか…。

「ええぇぇぇ…。立つのーん? しんどいやーん」

いました。
どうやら隣のおばちゃんたちは座ったまま観たいようです。
でもこれR&Bなんですよ。
リズムを取ったりステップを踏んだりしてこそ、楽しみが味わえるタイプの音楽なので、そこのところ何卒ご理解願います。
…さて肝心のコンサートですが、それはもう素晴らしい内容でした。
新旧ヒット曲をバランスよく織り交ぜたセットリストも良かったし、なによりマライアさんのコンディションが絶好調だったので、スタートから終盤まで、私は大いに満足して過ごしました。
しかし2回目のアンコールの時、私は思わぬ悲劇に見舞われます。
1回目のアンコールを終えて会場は暗転していました。
観客はマライアさんの再登場を今か今かと待ち詫びています。
お、スクリーンが明るくなりました。
…なんや、アレ?
うわ、雪の結晶やん。
あかんあかんあかんあかん…。
すっかり油断していました。
だってまだ10月でしたからね。
銀色の紙吹雪がゆっくりと舞い降りて来ました。
わあ、綺麗だなぁ…。
そこから先のことはあまりよく覚えていません。
でも、なんとなくですが、イントロが流れ出すやいなや、前列にいたカップルがぶっちゅうぅぅぅぅぅぅううううう〜っと猛烈なディープキッスをなさった光景を、見たような、見なかったような…。

「まだ10月なのになんでクリスマスソング歌うんだよ。酷いじゃないか…」

終演後、私はブツクサ文句を垂れながら会場を後にしたのでした。
しかし帰りの電車に揺られながらこう思い直しました。

「そうだ。このことを誰かに話して笑って貰おう。そうしないと私はきっとダメになってしまう。道化になるんだ。笑い物になるんだ。さあ誰か、私を笑ってくれ! いや、私と一緒に私を笑おうじゃないか! あは、あははははは…」

私は住所最寄りの駅で電車を降りると、馴染みの飲み屋に直行しました。

「へい、らっしゃ…。お、ことぶき」
「大将、酒だ。酒をくれ!」
「…どうしたってんだい。様子がヘンだぞ。なんかヤなことでもあったのか?」
「いいから早く酒をくれ!」
「まあまあ落ち着きなって。とりあえずその外套、脱いじまいなよ」
「あぁ…」
「こっちへ寄越しな。掛けてやっからよ。…おや?」
「どうした?」
「こいつはなんだい?」
「ん…?」
「てめえの外套の肩んところによ、紙くずみたいなのが付いてんだ」
「…」
「キンキラじゃねえか。…こりゃ、きっと紙吹雪だな」
「…」
「はは〜ん。さてはてめえ、昇進祝いでもして貰ったんだろ!?」
「…」
「おいどうした。どこ行くんだよ? ことぶき…。おーい、ことぶき〜!!」

私は流れる鼻汁もそのままに当て所なく通りを彷徨い歩きました。
みなしごの野良犬のように。
犬は涙に滲む商店街の灯りを眺めながら川柳を詠みました。

聖き夜に肩に残りし融けじ雪

最後に。
中学生以上の息子さんをお持ちのお母さま方にお願いがあります。
お宅のご子息がクリスマスイブの夜にいつも通り家にいらっしゃった場合、気を回して唐揚げを作ったりしないで下さい。
中には余計に凹んでしまう子もいるんじゃないかと思うのです…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?