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ショートショート 「B氏の危機察知能力」

金曜の夜、街外れのとあるバーにて。
マイクがカウンターで飲んでいると、近所に住むジョンが店に入って来た。

「お、マイク。来てたのか…」

ジョンはカウンターに向かってまっすぐ歩を進め、マイクの隣に掛けた。
注文するまでもなくバーテンがハーパーの水割りを提供する。

「久しぶりだなジョン。調子はどうだ?」
「まあまあだ。おめーはどうなんだ?」
「ボチボチやってるよ。楽しみと言ったらここで飲むことぐらいだが、まあ贅沢は言えない」
「相変わらず毎週来てるのか?」
「ああ。皆勤賞を貰わないとな。お前もサボってちゃダメだぞ。俺を見習え」
「そうしたいのは山々なんだが最近忙しくてよ。俺がここへ来るのは2ヶ月ぶりのことだ」
「へぇ〜。カネが貯まって困るだろ。代わりに遣ってやってもいいぞ」
「なんの話だ?」
「なんの話って…商売が忙しいんだろ? 使う暇もないぐらいに」
「違うよ。俺が忙しいのは、次期アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ氏の応援活動に勤しんでいるからだ」

ジョンは不適な笑みを浮かべ、ようやくハーパーを啜った。
マイクはあからさまに表情を曇らせる。

「ふん。あいつの名前を出すな。酒がマズくなる」
「ハッハッハ。そう言や、おめーが昔から推してるあの野郎、最近見掛けねえな」
「…」
「あっ」
「猿芝居はやめろ」
「へへ…。思い出したよ。たしかあの爺さんは隠居することに決めたんだったな。まあ賢明な判断だ。撃たれてもなお立ち上がって拳を掲げる漢と、高さ4インチの砂袋に躓いてすっ転んじまう老ぼれとじゃあ勝負にならねえからな」
「ちっ…」
「あの名コント、もう一回観たくなって来たよ。…え、なになに? おめーも観てえのか? そうかそうか、分かったよ。ちょっと待ってろ」

ジョンはポケットからスマホを取り出して動画を再生し、マイクに見せつけた。

マイクはジョンの子供じみた振る舞いを鼻で笑った。
ジョンはマイクのことを「ギャハハハ!」と大声で嘲り笑う。

「…あー腹が痛ぇ。それにしてもこの動画は傑作だな。何回見ても笑っちまう。気分が鬱いじまった時、俺はいつもこの動画を観ることにしてるんだ。向精神薬みてえな作用があって、しかもザナックスなんかよりよっぽどいい。なんせ効き目は100倍、副作用はゼロなんだからな。へへへ。…しかしあれだな、この爺さんは天性のコメディアンだな。転び方といい、何食わぬ顔で着席するところいい、マルクス兄弟顔負けじゃないか。こいつに投票することは絶対にねえが、もしコメディー映画に出演したなら少なくとも3回は観に行くことになるだろうよ。ハハハ!」

マイクは氷が溶けてすっかり薄くなったジャック・ダニエルを一気に一飲み干し、また同じものを注文した。
とそこへ、ふたりの共通の知人でありマイクと同じバイデン支持者のジムがやって来た。
彼はマイクの隣に掛けると、ジョンを睨み付けて言った。

「おいジョン。てめえさっきから調子ぶっこいてんじゃねえぞ」
「Yoo…ジムじゃねえか。なにを怒っている? 俺はただ不世出のコメディアンの偉業を称えていただけだぞ。…あ、そうだ。そう言や、おめーもこいつのファンだったな。そんなしかめっ面してねえで一緒に笑おうぜ。他の作品を鑑賞しようじゃねえか」

ジョンはスマホを操作してまた別の動画を再生し、マイクとジムに見せた。
立て続けに2本…。

マイクはまるで自分自身が辱めを受けたかのように俯いてしまった。
しかしジムは違った。
ライムを沈めたタンカレーのソーダ割りを煽りながら薄ら笑いを浮かべている。
ジョンはそんなジムを蔑むような目で見た。

「おいジム。ニヤニヤすんなよ。店の女の子が気味悪がってるじゃねえか。よおネーちゃん、すまねえな。このおっさんキメェだろ? でも決して悪気はねえんだ。ただこの暑さでちょっとばかし頭がイカれちまってるだけなんだよ。今夜のところは俺の顔に免じて大目に見てやってくれ。決して噛み付いたりはしないからさ。ヘヘヘ…」

店内のあちこちから笑い声が漏れた。
ジムは目線を左右に動かして声の主たちを牽制し、それからジョンに向かって咎めるような視線を投げた。

「おいジョン」
「なんだよ?」
「お前、なんにも分かっちゃいねえな」
「へへ。そのセリフもういっぺん言ってみろ。今度は鏡に向かってな」
「黙れ」
「黙れ…? ああ、いいだろう。おめーの望み通り黙ってやるからあの老いぼれを擁護してみろ」
「ふん。いいか? よく聞けよ。次期アメリカ合衆国大統領に相応しい候補者は、誰がなんと言おうとジョー・バイデンだ。…いや、残念ながら、今となっちゃ『…だった』と言わざるを得ないのだが。ハリスもまあ悪かぁねえんだよ。でもバイデンに比べるとやっぱり頼りない。あ、念の為に断っておくが、俺は決してハリスが有色人種の女だからこんなことを言ってるんじゃないぜ。純粋にそれぞれの大統領としての資質を比較評価してるんだ。誤解するなよ」
「へッへ。まったくおめーってやつはリベラリストの鏡だな。ステキだよ」
「茶化すな」
「褒めてやったのに…」
「うるせー。それにしてもだ、トランプみてぇなスキャンダルまみれのナショナリストを支持するなんて、お前の頭は一体どうなっちまってるんだ? あんな差別主義者のミソジニストが大統領に返り咲いたりしたら、それこそ国家の恥だぜ」
「トランプはミソジニストじゃない」
「ミソジニストだ」
「違う」
「ミスジニストだって」
「ちげーよ。ミスター・トランプは無類の女好きだ。ハハハ!」
「つまらん冗談を言うな。それにしても、畜生...。なんでバイデンは下りちまったんだよ。彼こそが大統領に最も相応しい男なのに…」
「ほぉ〜お。おめーはマジでバイデンが大統領に相応しいと思ってんのか? 自動車事故で亡くなった議員が聴衆のなかにいると思い込んで『ジャッキーはいるのか? ジャッキーはどこだ?』なんて声を掛けちまうほど老録してんだぞ」
「そりゃあ…人間たまにはカン違いすることだってあるだろう」
「たまの話じゃねえだろ。カナダの移民政策を称えるスピーチで『私は中国を称賛する』と言ったこともあったし、オーストラリアの首相の名前を失念したこともあった。それだけじゃない。マクロンのことをミッテラン、メルケルのことをコールと呼んだかと思えば、つい最近もゼレンスキーのことをプーチン、ハリスのことを『トランプ副大統領』と言い間違えてたよな? 忘れたとは言わせねえぞ」
「まあ、そんなのは大した問題じゃない」
「おいおい…」
「たしかにバイデンは少し、いや結構、いやかなり、いや相当、いや病気を疑われても仕方がないぐらい記憶力が落ちているように見えなくもない。しかしだ、大統領に相応しいか否かは、危機察知能力の有無で判断すべきだろう?」
「危機察知能力…?」
「ああ。読んで字のごとく危機を察知する能力のことだよ。国のトップに立つ人間にはこの力が備わってなきゃならないんだ。トランプにはそれがない。現にやつは撃たれちまったろ? 自分の身も守れない人間に国を守ることが出来るはずなんかねえんだよ」
「へぇ〜。じゃあ、おめーはその危機察知能力とやらがバイデンに備わっていると言うんだな?」
「そうだ」
「証拠を見せろ」
「いいとも」

ジムはスマホを操作してある短い動画を再生し、ジョンとマイクに見せた。

バイデンが何度も転ぶ様を見て、ジョンはテーブルを叩きながら笑った。
この夜一番の大声を上げて。
ジョンだけじゃなく、スクリーンを覗き込んでいた客たち、バーテン、店の女の子も一緒になって笑った。
バイデン支持者のマイクに至っては、笑いを堪え切れず、口に含んだジャック・ダニエルを盛大に吹き出してしまう始末だった。
ジョンはひとしきり笑ったあと、ジムに言った。

「なあジムよ。おめーって男はバイデンに負けず劣らずのコメディアンだな。よくもまあそうやって真顔を保っていられるもんだ。まったく見上げた忍耐力だよ。ありがとう、ありがとう。存分に楽しませて貰った。これからは仲良く呑もうぜ」
「は? …なんでお前なんぞと仲良くしなきゃならんのだ?」
「おいおい。もうトボけなくてもいいよ」
「俺はトボけてなんかいない」
「Hey。しつこいぞ、ジム」
「なんの話だ?」
「なんの話って…おめーもついにバイデンに愛想が尽きちまったんだろ? だからこうしてわざわざあいつの醜態を収めた動画を俺たちに…」
「おいジョン。お前のほうこそトボけるんじゃないよ」
「なんだって?」
「この動画を観て、バイデンが人並外れた危機察知能力を持ってるということがお前にも分かったはずだぞ」
「…アンタナニイッテンノ?」
「俺の話が理解出来ないのか?」
「出来るわけねーだろ」
「なら確認しよう。トランプはスナイパーに撃たれたよな?」
「ああ」
「片やバイデンは弾を避けた。見ての通り3回もだ。…もう一回動画観るか?」

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