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「あんた」「にいちゃん」「ちょっと」

人間の脳の働きは、本当に不思議だ。

何を覚えていて何を忘れていくのか。記憶を自分でコントロールすることは難しい。認知症の方と接していると、この脳の働きがいかに重要かが身に染みてくる。

ある利用者さんは昼食を終えたあと、静養室のベットで横になった。30分くらいだろうか。体を休め食べ物の消化吸収に全集中する。
いびきをかくほどの熟睡だ。体の力がすべてベットに溶け出し、膝は外側に向き掌も天井を向く。口は半開きだ。
高齢者は昼夜逆転している方がほとんどなので、昼寝で深い眠りになってしまう。このまま放っておくとデイサービスが終わる時間まで寝てしまう。
なので30分を目安に「〇〇さん。そろそろ起きましょうか」と、肩を優しく叩いて起こす。

「あれ、ここはどこ?わたし、何してんの?」

戦国時代にタイムスリップしてしまった女子高生のように、あたりを見回している。

「あなたはどなた?」

さっき、あなたをベットに案内した介護職員ですが、もう一度一から丁寧に説明をする。「〇〇と申します。ここはデイサービスでさっきお昼ご飯をたべました。そのあと、ベットで少し休みたいとのことだったので、こちらへご案内しました」と。

間違っても「自分で寝るって言ってベットで横になったんですよ」なんて言わない。ぼくは。

例えばその人は、飼っていた犬の話を1日に10回はする。

「15年飼っていた犬がいてね、ビーグル犬だったの。可愛かったわよ」

よほど大切に可愛がっていたのだろう。感情と一緒に刻まれた記憶は、すくにでも取り出せるように引き出しの一番手前に入れてあるのか。

「そのビーグル犬、なんていう名前だったんですか?」ぼくは話を広げようと質問してみた。

少し間があって「、、秘密。秘密。ビーグル犬。可愛かったわよぉー」

きっと、思い出せないのだろう。
秘密にする意味なんてない。

取り繕うように隠しごとにしてしまった。自分の感情を守るために。「秘密ですかぁ。そうですよね、心にしまっておきたいこともありますよねぇ」とぼくは返した。そして二度と同じ質問はしない。

ぼくのデイサービスでは毎朝朝礼があり、その日に出勤してる職員の名前をリーダーが読み上げる。

ぼくは結構な時間一緒に過ごしているのに、利用者さんから名前を呼ばれたことはない。「あんた」「にいちゃん」「ちょっと」としか呼ばれない。

週に2回、入浴も必ずしているおじいちゃんに「あなたなんていう名前?」と名前を聞かれた。
紙に苗字と名前、ふりがなを書き渡した。おじいちゃんは大事そうにジャンパーのポケットにしまって帰った。これで3回目だ。

ほんとうに不思議だ。

レクリエーションで歌を歌うことがある。昔の歌謡曲を歌うのだけど、歌詞がなくても歌える歌がある。

「瀬戸の花嫁」「北国の春」なんかは、歌詞がなくても大体歌える。確かに認知症は短期記憶の記銘や保持ができなくなるのだが、長期記憶も徐々に失われていく。でもこのふたつの歌だけは、ほんとうに誰でも歌える。童謡も同じように歌詞を見なくても歌うことができる。

なぜ、歌は記憶に残りやすく忘れにくいのか。

いいことを思いついた。
自分の名前をメロディーに乗せて紹介したら、覚えてもらえるかもしれないと。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。