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介護施設に来る高齢者の自己肯定感

自信に満ちた高齢者はいない。
社会性を被り、さもあるように見せているだけだ。
見破る必要もない。体つきや刻まれた皺が語っている。

老いを受け入れて、できなくなったことに意識が向いて、家族から厄介者扱いされ、自分自身をも厄介者だと自覚しようとしている。

とくに介護施設に来ている高齢者は。

紙パンツを履く。汚れた紙パンツを人に見られる。大事なところも見られる。立ち上がっただけなのに「座ってくださいね」と言われる。おしゃれなんか二の次で、ウエストがゴムのズボンかジャージを促される。仕事がない。お金がない。話し相手がいない。

こんな状態で「自信を持て」という方が難しい。
ついて出る言葉は「ごめんね」だ。

右も左もわからない自分の世界からしか世の中を見つめたことのない生意気な若者なら、根拠のない自信も持てるだろうが、
散々世の中を見て周り人生を味わってきた高齢者に「大丈夫ですよ!」「できてますよ!」「頑張りましょう!」なんて言葉は「◯ね!」と言ってるのと同義なのではないかと思うことがある。
上っ面な声かけは、時に人を余計に追い込み傷つけることもある。

だからこそ、言葉の意味を理解し使い方を学ぶ必要があると思っています。

だからといって、自信をつけなくてもいいか・生きる活力を失ってもいいかといえば、もちろん違う。

微かな火種。火種を両手のひらで包みで風邪を受け、燃え盛る炎にならなくても、なるように関わるのが介護職の勤め。炭になるまで見届けるのが勤め。

コップの底は見えている。
コップは傾いて自信のほとんどは流れ落ちた。

だからぼくはコップを支える。その人のコップにぼくが水を入れて溢れさす。ぼくはぼくの蛇口を自分の手で目一杯開くことができる。

ぼくは「大丈夫ですよ!」「できてますよ!」「頑張りましょう!」と声をかける。

みんなが皆そうではないという意見もあると思う。でも、歳を取り老いることは絶対的に平等だから、その人なりの自信の喪失をしていることは事実なのです。

なのに、それなのに。

自信を失わせるような言葉を投げかける職員もいたりして。紐解いてみれば、私生活のイライラをぶつけている。今の職場ではないが、言うことを聞いてくれない利用者さんに向かって、強くではないが毛布投げつけてる奴いた。さすがにそれには「お前〇〇〇〇か!それはあかん。報告しとくわ」と言って詰め寄ったが。手が出なかっただけ大人の対応だろう。

そんなやつは、おしりぺんぺんやし。
そんなやつは、下段攻撃で体を浮かしてコンボを叩き込んでやるし。
そんなやつは、ロープに振ってドロップキックだし。
そんなやつは、「一緒に帰ろうか」って誘って、先帰るし。
そんなやつには、「そんなんしたらアカンで」って言う。

こんなような記事、何回か書いてるかもしれない。
多分ぼくの中で消化しきれてないのだと思う。
だから書いて浄化してるのさ。

ぼくは、心無い光景を見て傷ついていたのだった。

介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。