不登校にとっての夏休み明け
そろそろ夏休みが明けていく頃。学校が始まる頃だ。
夏休みが明けるということは、不登校の人間からすると、
「休んでいても大丈夫。だって学校がやってないんだもん。みんな家にいるんだから、私もみんなと同じ。」
という刹那的な安堵感、自分が家にいることを正当化する材料を失うということだ。
大人が会社に行くことにストレスを感じ、飛び込み自殺などを図ってしまうケースは、週初めの月曜日に発生することが多いと聞いたことがある。GW明けなどにもよくニュースを目にする。
夏休み終わりの不登校児(もしくは不登校ではなくとも学校に行くことに大きなストレスを感じている子ども)に襲ってくるプレッシャーは、このケースを引き起こす心理的要因とほぼ同種のものだと思う。
新学期初日(月曜日)に向かって日々募って行く不安感・ストレス・緊張感。
それに加えて、世間的には「行かなくてはならない」という前提と、一種の義務感や責任感が自分自身を押しつぶす。
長く時間をかけて募るからこそ、限界にまで達した時の心理的なパニック状態は非常に大きなものとなって、衝動的に取り返しのつかないことをしてしまうのではないか、と私は思っている。
一方で私の場合、日々の宿題や授業の進行のことを考えると、学期途中から復帰するということに大きなストレスを抱えることが多かったため(行くと昨日の宿題が〜と言われたり、教科書の〇〇ページやってきたよね、と授業が進行されたり)、夏休み明けは学校復帰の1つのチャンスだと前向きに捉えていた時もあった。
きっとこの考え方自体は、不登校児としては「良い傾向」だったのだろうと思うし、比較的精神的にも安定していたと思う。
それでも夏休み明け初日というはっきりとしたスタートラインが決まっていることで、日々募っていくプレッシャーは非常に大きなものだった。
本当に行って大丈夫なのかな。みんなにどんな顔されるのかな。なんて言われるのかな。ちゃんと一日を終えて帰って来れるのかな。
でもこの日を逃したら、また何ヶ月も機会はないかもしれない。
行くしかない。
夏休みが終わりに近づく頃、不登校の子どもたちの多くは、ものすごく学校の始まりを意識していると思います。
前向きな意味であっても、そうでなくても、です。
学校に行くべきだとか、このままではいけないとか。そんなこと、言われなくてもきっと苦しいくらいに考えています。
もちろん全員が全員ではないかもしれませんが、
十二分に自分で自分のことを追い込んでいる子どもたちが、学校の始まりを強調されたり、決断を迫られたり。外から更にプレッシャーをかけられないことを願います。
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