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不登校からの高校選択

私は小学校・中学校の大半を不登校として過ごしてきたわけだけれど、
その後自分の行きたい高校を受験して合格し、
ちゃんと3年間通って卒業した。

中学校→高校の過渡期は、私にとっては割と大きな岐路だったのではないかと思っている。

そこで、不登校だった私がどう高校を選択したのか。受験したのか。
についてこの記事では書いてみようと思います!


高校を知ったきっかけ


中学1年生のとき、私は絶賛不登校で毎日のほとんどを家で過ごしていた。
すごく勉強するわけでもなく、稀に気が向いたらテキストを漁るくらい。

そんなとき、母が高校時代の同級生たちとの集まりに私を連れて行った。
母を入れて5人。当時からの仲良しグループらしい。

お茶しながら、女子校での思い出話に花を咲かせていて。
私はまあ、聞き流しながら、ケーキをモサモサと食べる。

その友達のうちの1人が、「〇〇ちゃんも△△高校行くのなんてどう?」と私に言ってきた。

そのときは、随分適当なこと言うなあと思った程度だったのだけれど、
家に帰って母の高校の卒業アルバムを何とは無しに見てみた。

制服がネクタイ。

え、ネクタイ締めたい。

私の高校選択のきっかけはほぼこれだけである。


志望校の決定

とりあえずネクタイを締めたいと思った私は、HPやら母の記憶やらによって
その高校が
①偏差値がなかなか高いこと
②図書室の蔵書数が多いこと
③プール授業がほとんどないこと
④私学であること
を知った。

まず私は、「どうせ不登校は出来が悪いだろう」という目で見られた悔しさ、「バカにされてたまるか」という気持ちから、
できるだけ偏差値の高い高校に入りたかった。
(尊敬できない親より絶対賢い大学に入るんだ、とも思っていた)

図書室が好きだった。たくさんの本に囲まれたかった。
(結局高校3年間図書委員をしていた)

プール授業が大嫌い(トラウマ)だった。なんとしても、一度も入ることなく卒業したいので、できる限り授業が少ない高校じゃないと嫌だった。
(全部見学してレポート課題でやり過ごした)


この5つの要素で、志望校を確定するには充分で、もうここ一筋。ここ以外にない。と思っていた。

この要素の中で、不登校の私にとって非常にラッキーだったのが、
私学であることだった。

公立に比べると、圧倒的に中学の内申点が必要ないことは知っていた。
というか、少なくとも私の地域では、不登校で公立に行くのはまず無理。
という感じだった。
ここが公立だったなら、どんなに行きたくても諦めていたと思う。

これらの理由から、中学2年生の初めの段階で、受験する高校を心に決めた。


いざ受験!


家で独学して、偏差値としては充分合格圏内まで引き上げた。

勉強しだす前から「いや勉強はいけるやろ」という謎の自信があって、
試験で落ちる可能性は更々考慮せず、滑り止めを受ける気もなかった当時の私の度胸に乾杯。
(と言いながら、大学受験でも同じことをしたので変わっていない)


しかし、さあいざ受験を申し込もう!となって、
1つの問題として現れたのが、
私が中学3年生の間、1日も登校していないことだった。

いくら内申点があまり関係しないとは言っても、
入学させたところで高校に通えるという希望も見えないことには、
高校側としては受け入れがたいのではないか。

しかもなまじ進学校。学校に行けない生徒を入学させるだろうか、、。

ここでも私がラッキーだったのが、3年間兄の担任をしていた大ベテラン教師が養護教諭をしていて、私のことも気にかけて色々と手引きをしてくれたことだった。
(不登校だった兄を、中学校で皆勤賞を取るまで引き上げた敏腕教師)

私の受験希望の高校におそらく交渉し、
「1日だけ門をくぐりに来てくれたら、この子は学校に来れる子だって証明材料になるから」と言われた。

1日頑張って登校して、門をくぐって本当にすぐUターンしたわけなのだが。
なんとかいい感じに伝えてくれたらしい。(ありがとう先生)

願書を出して、受験をして、合格した。


高校1年生では1日も休まず皆勤賞を取った。
その高校の中でもトップレベルの偏差値に上がり、無事卒業。
結果的には神戸大学に進学した。


私の高校選びは、いろんな選択肢から条件を吟味した、というものではなかったので、あまりなんの参考にもならないかもしれませんが。

きっかけはなんでもよくて、条件どうこう以前に、
「行きたい!」と思える高校を見つけられることは奇跡。
だからこそ、些細でもその気持ちを一番大切に。


合格して通えることになったとき、本当に「行きたい!」気持ちがあるかどうかで、
高校生活がまるで違ったものになると思います!




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