不登校からの社会復帰・高校で苦労したこと
小学校・中学校と不登校からの高校選択・受験を経て、私は第一志望の高校に進学した。
高校選択についての記事はこちら→
https://note.com/kotobatohanauta/n/nd7fb9b3c0a58?sub_rt=share_b
今回は、不登校から社会に復帰する第一歩となった、高校時代の話。
特に、ちょっと苦労した話、難しかった話をしようと思います!
学校を休んではいけない!強迫観念
高校1年生の1年間、私は無遅刻無欠席の皆勤賞だった。
小学校の時も中学校の時も、長く休んでは学校に復帰しようと再登校して、数日行ってまた休み出すことを繰り返していた私にとっては、とても大きな快挙だった。しかも中学3年生に至っては無登校だったのだ。
しかしこの極端な結果は、不登校時代の経験からくる、
「1日でも休んでしまったら不登校になってしまうに違いない、決して1日も休んではいけない」
という強迫観念から生まれたものだった。
どんなに熱が出ても体調が悪くても、何があっても絶対に1日も休まない。
結果肺炎を拗らせてしまったこともあった。
それでも出席停止にならない限り何が何でも行くと決めていた。
「休む」という選択肢を自分の中から徹底的に排除した。
理由が体調不良であっても、その選択肢を自分の中に芽生えさせてしまった時点で、もう「普通の」生徒でいられない。昔の自分に戻ってしまう。
朝頭の中に「行きたくない」と浮かんでも、行かない選択肢など存在しない。だから考えたり迷う余地などない。
そうやって1年間を過ごした。
しかし2年生になって、「私はもう大丈夫かもしれない」と思えるようになってきた。熱を出したらちゃんと欠席することができるようになった。
少しくらい休んだって大丈夫。
私の席はちゃんとそこにある。
数日いないくらいで友達から忘れられることはない。
いつもノートを見せてあげている友達にノートを見せてもらえばいいし、小学校や中学校よりもタスクがはっきりしているのだから、復帰するときにやるべきことは明確。
この気づきのおかげで、随分と気が楽になった。
人見知りで無愛想・コミュニケーション下手
小学校・中学校の多くを家で過ごし、家族以外と関わる機会の少なかった私は、極度の人見知りで人に自分から関わることが苦手だった。
とは言いながら、不登校だったから人見知りだったのか、人見知りだったことが不登校を長引かせたのか、関係ないのか。
なんてことはわからないのだけれど。
それはまあどちらでもいい。
愛想よく振舞ったり、会話を展開するなんてことが全然できない。
会話の中に入っていく勇気なんて全くない。
入学したての頃は特に、今から思うと恐ろしいほどのポーカーフェイスで毎日を過ごしていた。卒業アルバムに写っている、入学式の日に自分の席に座っている私は、背筋を垂直に伸ばし、前を睨みつけている感じだった。
クラスメイトの一部からは名前に様付けで呼ばれていて、貴族のような立ち位置にされていた。全然意地悪な意味ではない。
でも、とっつきやすいとは思われていなかったことは間違いないと思う。
ほんの些細な場面で、とても印象に残っているものがある。
あるとき、クラスメイトに「おはよう!」と挨拶をされたので、私は何も考えずに「おはよう」と挨拶を返した。するとその子に、「挨拶するなら、ちょっとニコッとして挨拶してや!」と言われた。
そう言われてみて初めて、「私は真顔で挨拶してたのか」「そうか、ニコッとすればいいのか!」と自分の中でちょっとした革命が起こったのだ。
こんなちょっとしたことに気づく機会が、それまでの私にはなかった。
それからは、「人に話しかけられた時はニコッとして答える」ことを心がけるようになった。(我ながらものすごく素直なものだ笑)
そのおかげもあって、高校生活の中で少しずつ、柔らかい表情を作ることや、人と関わることに慣れていった。
といっても、高校卒業の時も人見知りは健在で、結局仲良くなったのはほんの数人だけ。クラスメイトみんなと話したことがあるかは怪しい、という程度までの成長なのだけれど。笑
人見知りってそう簡単に無くなるものじゃないですよね〜
次回記事では、不登校からの社会復帰だけれど意外と苦労しなかったことや、高校生活を通して成長できたことについて書こうと思います!
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