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書く調子は、こーして取り戻そう

記事を書く、以上。

おわりましたよ、解散。もうこの先読んでも何もないけど、そういうわけにもいかないんで続けましょう。何もないと知りながら、でも何か起きるかもしれないから。物書きの性(さが)というか、noteに魂を売った人間の末路というか。


いや、ちょと調子を落としてたんです。読み手が気づくかはわかんないけど、毎日読んでる方には伝わるんじゃないかなー?

どう落としてたかって、やっぱ滑らかじゃないんです。言葉がスムーズじゃないというか。スピーチなら、流暢じゃないってことになるかな。感覚としては、脳と指が上手くつながってない感じ。何を書いてもふわふわして、地に足がついてないというか。


ああ、顕著なのは「遊びがなくなる」ですかね?

調子いいと「どーでもいいこと」をいい塩梅に混ぜられるんですが。わるいとそーならないんですよね。大事なことばっか書いちゃうの(笑)いーじゃんと思うでしょ?ま、こう書くとわたしも「いーじゃん」と思うんだけど、それじゃダメなんです。


しれっと、大事なこと書くけど。

実は文章って、この余白というか「遊び」がめっちゃ大事で。人って、大事なことだけダーッと言われても(書かれても)その文章を魅力的とは思わないんです。これは知能とか、文章の読み慣れにあまり関係なくて。そんな風にはできてないんです。人間の脳って。


感覚としてはそうだなー、8割は「遊び」じゃないかな?あってもなくてもいい部分。で、残り2割が大事なとこ。

ああ、コピーライター・仲畑貴志さんが言うところの「エビフライの尻尾」かもしれませんね。エビフライはあの尻尾が出てるから、これがエビだとわかるんだ。尻尾は食べないけど、でもあれが重要な役割を果たしてるの。わかる?って。


うまいこと言いますよね~

ま、尻尾は1割なんで、さっきの話と合わないけどご愛嬌です。だって、わたしは仲畑さんじゃないから。仲畑さんもまたわたしじゃないから。わたしは、こうしてあーだこーだ寄り道して書くのが好きなんです。そこにさらっと真理を込めたいんです。


ほら、乗ってきた。今日は調子いいと思ったんだ。いま思うと、あの冒頭いらなかったね(笑)

とにかく筆が走る、タイピングが踊るのは気持ちいい。書く喜びであり、生きる糧ですよ。なんで調子落とすかって?わたしもいろいろ考えたけど、たぶん理由ないですね。だって、なんの落ち込みもないし、とくに体調がすぐれないわけでもないし。


しいていうなら、バイオリズム(生体の活動周期)

きっと、ここからしばらくいいですよ。えっ、プロなら調子に左右されず、一定のクオリティで書けるんじゃないか?無理ですよ、みんなそう思い込もうとしてるだけ。大谷選手も明らかにホームラン出るとき、出ないときあるでしょ。そゆこってす。では~


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