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声の魔法!🪄閑話休題・吃音と認知行動療法

完璧を求めた、新人アナウンサーの失敗談

前回投稿はこちら。

原稿を暗記して臨んだ生中継の話

アナウンサー時代の私の初仕事は、早朝の魚市場からの生中継でした。長らく閉鎖されていた魚市場が一般客向けに再開され、活気に湧く現場の様子をゲストとともに紹介していく番組です。

依頼元である魚市場の担当者が用意してくれた台本。「皆さんこんにちは! 木山幸子です。今日はここ、○○町にある魚市場に来ています。○○年ぶりに一般の方の来場が可能となった魚市場。朝早くから賑わう様子を現場からたっぷりとお届けします!」

自己紹介から前振りに至るこの文言と、その後に続く台本を何十回と読み込み、丸暗記しました。前日にはひとりリハーサルをなん度も繰り返し、暗記は完璧です。

そして迎えた当日の本番。中継入りの10秒前カウントが始まると、私の緊張は最高潮。心臓が早鐘を打つように鼓動して、途端に頭が真っ白に。

それでも、スタートの合図とともに絞り出した最初の一言。

「皆さんこんにちは! 木山幸子です」

けれどそう名乗ったが最後、真っ白になった頭には何ひとつ浮かんできませんでした。アナウンサーとしての初仕事で、回るカメラの前、言うべきことをすっかり忘れてしまった私は沈黙してしまったのです。

「暗記した内容を話す」ことを優先した結果の失敗

幸い、手元に台本を持つことを許された中継でしたので、「もう何も浮かんでこない」と諦めた私は、一拍ののちに原稿を読むことに切り替えました。その後は話し上手なゲストの方のおかげもあって、中継はスムーズに進み、終盤では手元原稿に頼ることなく、無事中継を終えられました。「新人っぽくて良かったんじゃない?」とディレクターには慰めてもらいましたが、初仕事で大ミスをやらかした私は激しく落ち込みました。

「あんなに何十回も台本を読み込んで、完璧に暗記したのに、どうして失敗してしまったんだろう」

失敗の原因を分析して対策をとらなければとあれこれ考えつつ、その他の仕事も経験しながら私が行き着いた結論。それは「暗記した内容を話そうとしたから失敗したのだ」ということでした。

やるべきことは「伝える」ことだった

アナウンサーという仕事はコミュニケーション職だと私は思っています。画面のこちらと向こう、舞台の上と下をつなぐ仕事です。生中継で例えるなら、現場であるこちら側と、テレビの向こうの視聴者とをつなぐこと。魚市場の中継は、「長らく一般向けには閉鎖されていた市場が再開された意義」や、「再開に至るまでの関係者の苦労」、「魚市場で新鮮な魚を買う一般客の楽しそうな様子」などをお茶の間に届け、見ている人が「良かったな」「楽しそうだな」「自分も行ってみたいな」と思えたなら、成功と言えるでしょう。

私の役目は、現場の生の様子をいきいきと伝えることのはずでした。けれどあの冒頭で私がしようとしたことは、「暗記した台詞を間違いなく言うこと」です。私の意識は「おぼえた台詞を完璧に言う」ということに集中し、本来の「伝える」仕事よりも、そちらを優先しようとしてしまったのです。

「おぼえた台詞を完璧に言うこと」と「現場の思いを伝えること」。2つの役割が私の中にはあったことになります。けれど本来は後者の「現場の思いを伝えること」だけで十分だったはずなのです。そちらに意識を100%向ければきっといい中継になったのに、私は意識のうちの大半を「おぼえた台詞を完璧に言うこと」に向けてしまいました。2つの仕事を抱えてキャパシティオーバーになってしまったことが、失敗の原因だと分析しました。

この結論に行き着いた後、私はすべての仕事で暗記することをやめました。台本に目は通しますが、頭に入れるのは単語やエピソードのみで、文章の丸暗記はしません。代わりに台本を閉じて、頭に入れた単語やエピソードを交えながら、自分のことばで「どう伝えたいか」考えつつ、ひとりリハーサルをするようになりました。魚市場の例で言うなら、場所やゲストの名前、「○○年ぶり」というエピソードだけを頭に叩き込んで、それを自分のことばで紹介するのです。当然台本に書かれた内容と一字一句違わないということにはならず、話すたびに微妙に違ったりもします。幸い中継台本はニュース原稿などとは違い、多少の言葉尻の変化は許されますから可能な話でした。そうやってひとりリハーサルを繰り返しながら、このエピソードをどんなことばで、どんな声で伝えれば、こちらと向こうをつなげるのだろうと、意識は自然とそちらに集中していきました。

このやり方に切り替えてから、私のアナウンサーとしての評価も上がっていったように思います。

吃音治療に役立つ認知行動療法

ワーキングメモリと脳のキャパシティ

1つの役割で十分であるにもかかわらず、2つの役割を自分に課した結果、キャパシティオーバーを起こしたのではと考えた私の分析は、後年、言語聴覚士となった際に正しかったことが証明されます。

言語聴覚士は音声のほかに、神経心理学と呼ばれる分野を重点的に学びます。端的に言えば脳についての勉強です。

人間にはワーキングメモリと呼ばれる機能が備わっています。何かを行う際の脳機能の容量のことです。メモリとあるため記憶の容量と思われがちですが、入ってきた情報の一時的な記憶も含めた、情報処理能力のことを指します。

この容量には限りがあり、個人差も大きいと言われています。その人が持って生まれた容量以上のことをこなそうとすると、当然ながらキャパシティを超えてしまい、うまくいかないことがあります。複数の仕事をこなそうと思ったら、自分の容量を見極め、その容量を適切に配分するのが望ましいことにもなります。

新人アナウンサー時代の私の失敗は、2つの役割を同時にこなそうとしたことでした。そのため私のワーキングメモリは2つに分配され、なおかつ「暗記した台詞を言う」ことの方に多くの容量を使っていました。その後、暗記をやめたことで役割は1つとなり、自分の容量の100%を正しく使えるようになったというわけです。アナウンサー時代はワーキングメモリや分配のことなどまったく知らなかった私ですが、「伝える」ことへ全力投球するのがいいと、経験を重ねることで見えてきたのだと思います。

「話し方」でなく「話す内容」を重視する

この考え方を吃音治療に活かそうという動きがあります。

吃音とは、「ぼ、ぼ、僕は」のように頭の音や単語を繰り返したり、頭の音がなかなか出てこずことばが詰まってしまったりする症状のことを言います。脳機能の問題だと言われていますが、詳しい原因はまだわかっていません。

吃音の人は、ことばの出だしがうまく行かないという経験をたくさんしています。そのため何か話す局面でも「ことばがうまく出るだろうか」「どもってしまうのではないか」「失敗しないようにきちんと話さなければ」と、自分の話し方に集中してしまいがちです。この「話し方」への過度な集中が、逆に吃音を引き起こしてしまうと考えられます。話をする場面で、人間はワーキングメモリを少なからず使用しています。ワーキングメモリには容量があると言いました。本来なら「話す内容」に集中すべき場面で、「話し方」に意識を向けすぎてしまうと、キャパシティオーバーとなり、結果的に失敗してしまう、ということです。私のアナウンサー時代の失敗の話と似ていますね。

吃音があっても話し方は気にせず、話す内容に意識を向けることで、結果的にワーキングメモリの容量のスペースが空き、コミュニケーションがうまくいくということになります。「話し方」よりも「話す内容」を重視し、吃音への認識を変えていくこの方法は認知行動療法と呼ばれ、世界的に広がりをみせています。

吃音に限らず、緊張するような発表の場面で、「声が震えそう」「噛んでしまったら恥ずかしい」と考えるよりも、「自分の思いをしっかり伝えよう」「相手に届けよう」という気持ちで臨んだ方が、結果としてうまくいく可能性が高まります。

あなたが伝えたいと思っていることに、ぜひ全力投球してみてください。

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