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精神を病んだ人達が、健全な日常復帰を果たすまでのステップの充実を。

うつ病の寛解、仕事復帰を果たしてから13年。

以前の生き方を少しずつ改善し、ありがたいことに自分で人生をより良くできている、という感覚が得られています。

うつ病闘病は自分の人生の分岐点であり非常にインパクトが大きかった分、世の中の動向も気になり、未だ闘病中の方々のことを考えると、時々激しいジレンマに陥ります。

それは、うつ病など精神を病んだ人が、仕事や健全な日常復帰を果たす過程において上手く次のステップに進めず、足踏み状態を続けているうちに、また精神状態が悪化し抜け出られなくなってしまう、という状況を目の当たりにするからです。

うつ病を含め精神疾患を患う人は、往々にして真面目で高い規範意識と責任感を持つ人が多く、限界を超えるまで頑張ってしまいがちです。また、良心的な性格から人に搾取されやすい傾向もあります。

真面目に一生懸命頑張る背景には、元々の自己肯定感の低さが隠れていることも多く、病気でつまずいた時に、これが壮大な障壁になってくる、ということを実体験から、また、未だ闘病中の友人達を見ていて強く感じます。

仕事や家事をこなすことで、自分の存在意義を必死で確認しながら生きてきた、という状態の人が、精神疾患で長期的に戦線離脱となると、自己批判、自己否定、自己卑下がエンドレスな思考ループとなり、それがさらなる精神・身体症状の悪化を引き起こし、慢性的な精神不安状態になってしまいがちです。

こうなると、ごくごく簡単なことですらやり遂げる自信がなくなってしまい、自分はもう何をやってもダメだ、という極端な思考から自死を考えたり、現実逃避の無気力状態となってしまう、というパターンが見受けられます。

寛解後、適切なタイミングで徐々に、その都度適度な負荷をかけて心身を元のペースに慣らしていく、というアプローチが不可欠ですが、デイケアや就労支援といった移行過程のサービスに、制度上の欠陥や地域差の問題があったり、家族など支えてもらう側の人との不和が足を引っ張る要因となるなど、ハード・ソフト両面の問題があります。

それぞれが複雑に絡み合っておりケースバイケースのため、個人に合わせたきめ細かな対応が求められますが、私の周りだけでも10年以上の闘病で、広義の引きこもりに該当する人が数人おり、それぞれの壮絶な苦悩を見聞きする度に、その根深さや問題の難しさを痛感します。

真面目、誠実でいろんな人の役に立てる人達が、長期間このような状態でいることに、いつも激しい葛藤を覚えます。

勤労の喜びや意欲があり、人を思いやる気持ちのある人達が、こんなふうに静かに眠っていることの社会的損失の大きさに、やり切れない気持ちになるからです。

また、ただただ自分を責めて貶めて、自尊心をじわじわと失いながら残りの人生を過ごすのは、余りに辛過ぎるとも思います。

身体的な病気・ケガと違い回復が分かりにくいため、医療の範疇と健全な日常生活の間には、巨大な溝があります。

一度その溝を間近で実際に見た人間でないと、深さや沼り具合など、その複雑で危険な実態は分からないのではと感じます。

闘病で、仕事や従事していた活動、所属していたコミュニティから離れ、時間が経てば経つほど孤独感が増し、全てにおいて自信がなくなっていきます。

人と接するのが恐くなり機会を避けることで、さらに不安感が強くなる。恥の文化も手伝って、世間体や人からの評価も、透明な重荷となってのしかかり、誇れない自分を惨めに思い尚更距離を置くようになる、という悪循環に陥ってしまう。

「馬を水辺に連れて行けても、水を飲ますことはできない」という諺が表すように、本人が心から望まなければ何も変わらないのは重々承知ですが、願わくば手が届く範囲に、ある程度整った選択肢が複数あってほしいと思っていて。

特に、こんな自分にはもはや何の価値もない、と強く信じ込んでしまっていて、人生に対して希望も失い、かろうじて生きている、というような状態の人にはまず、人の役に立つことで得られる普遍的な喜びを体内に染みこませることと、“自分にもできる”という自己効力感をもう一度取り戻すきっかけとなる体験が必要なのでは、と思っています。

この2つを叶えられる受け皿が何かないかなぁと考えていたところ、おて
つたび
というプラットフォームに出くわしました。

自分自身が、田舎の狭いコミュニティ内での闘病生活で苦労したこと、また転地療養的な効果もあるのでは、という思いから興味を惹かれ、ものは試しと、ちょうど体が空いた年末年始に参加してきました。

繁忙期と閑散期が極端な農作業の助っ人や、大型イベント時の応援、過疎地域の活性化スタッフなど募集はいろいろですが、お手伝いの募集者と応募者のマッチングを行うプラットフォームで、“おてつだいをしながら旅をする”というのが、運営テーマとなっています。

実際に行ってみた経験をレポートとしてまたまとめてみようかと思っていますが、この“おてつたび”を何倍も緩くしたバージョンがあったら、有効な選択肢になるんじゃないか、と感じています。

リハビリを目的とするわけですから同じシステムでは負荷が大きすぎるので、大幅な仕組み変更は必要になります。

とにかく新たな一歩を踏み出すこと、を第一の目的として、出勤できなくても良い、出勤してすぐ帰るでも良い、または引率者をつけたりボランティア募集にするなど、柔軟な内容にする必要があるでしょうし、募集側(受入側)の多大な理解と協力も必要になります。

それでも、労働人口減少の対策が必須のこの時代に、眠っている人材の掘り起こしは、とても意義のあることではないかと思います。また、これまでの居住地よりも自分に合う地域を見つけ過疎地へ移住する、などのきっかけにもなり得ると思います。

酷く心に傷を負った人がもう一度歩き始めるのは本当に大変なので、

・とにかく不安感を減らす細やかな配慮

・“求められて出向く”という関係性

・人と比べ評価されたりというプレッシャーがない

という点で、通常の仕事とは質的に全く異なる体制のプラットフォームができればいいのになと。

単なる妄想じゃないか、と言われればそれまでなんですが、掴めるハシゴはないかと期待しながら、消えかかる気力を振り絞って日々生きている人達を思うと、これからも自分に何かできることはないか、考え続けていきたいと思っています。

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