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「人に振り回される」と嘆くのを止めた話。人生を後悔なく生きるために強くなる。

以前の私の口癖の一つは「人に振り回されてばかり。嫌になる」でした。

それも〝振り回してくる相手が悪い”というトーンで、怒りを込めて嘆く、という感じでした。

ある時、鋼メンタルの友人から「その言い方やめなよ」と言われました。

私は否定された悲しみからの怒りで、その後彼女が付け加えた説明をよく覚えていないのですが、「振り回されるのを放置しているのは自分自身でしょ」というような言葉だったのでは、と思います。

私は、いわゆる繊細さんで豆腐メンタル。良いことも悪いことも、とにかく精神的なインパクトが非常に大きい方で。

感情処理に凄まじく負荷がかかるので、ダメージを回避すべく争いごとを避ける傾向があります。

また、自己肯定感、自己価値観の低さの問題を抱えていて、これらの要因が相まって、舐められやすい、搾取されやすい性格や行動パターンを形成していることに、次第に気づくようになりました。

舐められっぱなしの自分、搾取されがちの自身に惨めさを感じてはいるものの、変えられないものだと思い、何も行動を起こしていなかった。

彼女は歯に衣着せぬ物言いをする人で、納得できないことは、上司でもズバズバ意見する人でした。

当時の自分には「あなたにはできるでしょうけれど、私には無理」という結論しかなかったので、自分の辛さを分かってもらえず、突き放されたような絶望感からの悲しさ、また、その惨めさを正面から突かれた悔しさで、彼女の言葉に反発したんだと思います。

それから何年も経って、彼女の言っていた意味が分かり、今では自己憐憫が始まったと感じた時には、

相手が悪い、自分は悪くない、とただただ悲劇のヒロインを演じて生きていくの?強くなりたいんじゃないの?

振り回される(搾取される、舐められる)と感じたなら、何かの行動を起こさないと。

と、自分を戒めるようになりました。

上記の友人は、その性格上敵が多い人で、彼女の生き方は私には合わないことは明白でした。でも、彼女のように対決覚悟で正面突破でなくても、他にいろんな闘い方がある。それを学んで実践していく、と決めました。

以前、筋金入りのテイカー(奪う人)の同僚の記事を書きましたが。世の中ギバー(与える人)=善、テイカー=悪、という単純なものではないと思っています。

ほんの少しでも、人に与えようという気持ちを持つ人が多くなれば…と思うことは確かにありますが、ギバーだろうがテイカーだろうが、〝自分の生き方に責任を持つ”ということが、大事なんだろうなと思っています。

ギバーでありたい私の場合は、搾取される、舐められるのが嫌になり、自分の本来求める生き方を抑えてテイカー側に回ることなく、その生き方を続ける。

舐められにくい、搾取されづらい思考、行動パターンに変えつつ、理不尽な対応を受けた時は、自分なりの方法で釘を差す、距離を取る、反論するなどの行動を取り、〝相手が自分を振り回す”という言い方(言い訳)をしない。

自分の生き方を自分で支持し、何らかの改善を試みていれば、それはもはや〝振り回されて”はいない。きちんと自分で舵を取っているんだと思います。

私が挙げたテイカーの元同僚ですが、生き方が真逆であったため、仕事上では常に対立することになり閉口しました。

それでも私はどこか彼女に一目置いていたところがあり、その理由を考えていたのですが、それは一貫性だけではない気がしていました。

それは〝自分の行動から生まれる結果を受け容れ、自分の生き方に自分で責任を持っている”ところだったんだと今は思います。

入居者さんからクレームを受けたと注意されてもビクともしない。評価が下がっても意に介さず、よくありがちな、自分はサボるけれど同僚が評価されるのは許せず、文句を言い足を引っ張る、といった行動は一切なかったんです。

中途半端なテイカーと違い筋が通っているなと、私はこの点には脱帽でした。

自分の生き方で返ってくる結果は、良いものも悪いものも受け入れる。自分自身が求める生き方を貫き、途中苛立つような結果に出くわしても、人のせいにしないで、改善を加えていく。

それが〝自分の人生を後悔なく生きること”に繋がると信じ、さらに強くなりたい、と思っています。

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