我が息子よ(アフターコロナは何を意味するのか?)
倖永
キミは文字通り
ママが命懸けで産みました。
帝王切開と決まった時、
パパもママも覚悟を決めました。
その夜二人は泣きました。
手術の際、研修生をオブザーブさせていいですか?と病院から打診があったとき、ママは即答でOKを出しました。(どうせ命を懸けるなら少しでも人材成長の機会になるならと)
通常は皆が断るそうで
その返事で誰よりも驚いたのは医師や看護師でした。(おかげでその後、ひっきりなしに研修生等が挨拶に来ました)
今、僕は妻の実家でキミにミルクをあげています。
そのキミの目を閉じてミルクをちゅぱちゅぱする顔を見ているだけで、僕の人生は祝福されていると全身で感じます。
有難う、倖永。
しかし、今、世界はアフターコロナの
情報がさまざまなに錯綜しています。
とは言え本来は、
状況がどうであれ
僕たちがやることはいつだって一つです。
その答えは、間違いなく愛を基調に生きることとなります。
もっと平たく言えば、そのやり方は大人がまだ幼稚園に通っている頃に、すでに教えられたやり方です。
そう、親切にです!
そして、どんな職業に今就いていたとしても、
また、それが仮に奪われ、何か違うものを始める羽目になっても、やる事は一つなのです。
人の生活(生命活動)に奉仕すること。
ってことは、誰もが聖職に就いていることになる訳です。
このような結論からブレないのも
息子の存在のお陰かもしれません。
僕は息子との神聖なる関係を通じて
無言の、しかし、確かな、コーチングを受けているんです。
ちなみに。神聖なる関係とは、自分自身を異なる目で見るガイドのこと。だから、これを読んでくれてるあなたとも勿論、神聖なる関係になるわけです。
こうして全人類が神聖なる関係に立ち戻った時、これから訪れる未曾有の大打撃、つまりアフターコロナのレッスンはようやく終わりを告げるのではないでしょうか。
そして、僕たちの新たなレッスンが始まるのだと思う。
Byオレの殴り書き
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