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やりたいことがないうちは、目の前のことを全力で

最近、わからないことに対して焦らなくなった。

自分の就くべき仕事がわからないこと、幸せの定義がわからないこと、辛さの原因がわからないこと。

自分についての大事なことがわからないままでも、大丈夫になった。

それは、わからないことがいつかわかるようになる。経験からそう思えるようになったからだと思う。


昭和の産物なのかわからないけれど、目の前の仕事に熱中していて自分にとって本当に大切なもの、夢や家族とか、を忘れてしまった人の物語をたくさんみてきた。

だからこそ、やりたくないことをやると、そのまま人生が終わってしまうのではないか。後からふと気がついたときに後悔するのではないか。そんな不安が強かった。

同世代に同じような思いを持っている人も多いんじゃないかな。それは口コミが簡単にみられるようになって冒険をしなくなったとか、ネットのスピードに慣れてガマンに弱くなったとか、テクノロジーの影響も大きいのかもしれない。けれど、それが実際に自分に役立つものなのかわからないまま突き進むことに対する耐性は、確かに弱いなと思う。少なくとも私は。


けれど、悩んで、やってみて、答えのかけらのようなものを見つけてというのを繰り返すうちに。すぐに答えが見つかっていなくても、そんなに軌跡が無駄になることはないことがわかってきた。

これを見つけたい。例えば、幸せになりたい。その山頂さえ見失わなければ、なんだかんだ軌道修正ができるし、たどり着いたときにこれだと気がつけるものだ。

社会で成功したいとかなら、社会について詳しくならないと軌道修正も難しいかもしれない。どれが正しいのかとアンテナを貼って、常に正しい道を選ばなければいけないほど過酷な道なのかもしれない。

けれど、幸せなど自分についてのことなら、自分がよく知っている。そのときどきの好きや嫌いにきちんと耳を傾ければ。しなければいけないより、したいが大切だということを忘れなければ。

なんだか迷走している。そんな時期が多少あっても、いつかゴールにたどり着く。


今は毎日きちんとコピーの勉強ができているわけではないし、紙に書き落として自分を見つめるほどの元気がない。けれど、それはそれで時が流れるのを待って、とりあえず目の前のことをこなしていこうと思う。

やりたいことが見つかったら全力で。やりたいことがないうちは、目の前のことを全力で。

その繰り返しできちんと、進んでいる方向は、前になる。どっちに進もうと、前進だ。

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