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好きなものはなんですか?

こんなことを言うと方々から怒られる気がしますが、私は入社まで、さらに言えば配属まで「校閲」という仕事の内容をよく知りませんでした。
ドラマでそういえば聞いたことがあるような・・・というレベル。
なぜそんな私がこの「校閲」という職を選んだのか。
4年目、松浦のお話です。

好きなものはなんですか?


 
大学3年の冬。一般的な大学生はきっとインターンなどを終えて、なんとなく自分の進路が固まりだすころ。
私はというと、何もしていませんでした。
「やりたいこと」「やりたい職業」というものが全く浮かばなかったのです。しいて言えば大学生の間に行っていた方言研究、つまり研究者でしたが、生業にできる自信はありませんでした。

三重県鳥羽市国崎町で方言調査をしていたときの一枚。
伝統的な海女の町で、海にまつわる方言が多くありました



しかし一つだけ、こだわりたいと思っていたことがありました。
それは「好きなものに携わる」ということ。
漠然と、好きなものにできる限り関われる仕事ならいいな、と思っていました。

ところが、「好きなもの」というのは意外に難しい。
例えばミカンが好きだとは言っても、栽培して商品として広めたいだとかそういう好きではないし、本や読書が好きだからと書店でアルバイトはしましたが、就職して働きたいとは思いませんでした。
また博物館が好きで学芸員資格を取ったりもしましたが、どうしても学芸員になりたいというわけでもありませんでした。
つまり「働く」、「就職」するに至るまでの「好きなもの」がなんなのか分からなかったのです。

そんなこんなで大学3年の冬になってしまったわけですが、さすがにこのままではまずかろうと冬季インターンに行くことにしました。
この時点ではまだ、新聞業界という選択肢すらありませんでした。
とりあえず、と決めただけでしたが、今ではここが考え方の転機だったように思います。

何が一番大切ですか?



インターンでは業界の説明や、グループでの活動を通してその会社の仕事について知っていきました。
その業界に強い興味が湧いたわけではなかったのですが、その後の私にとっては一番大切な説明がありました。
いわゆる「ワークライフバランス」に関する説明です。

社会人になるということが全く想像できていなかった私にとって、その説明は社会人像をある程度明確にするものでした。
例えば結婚したらどう生活するか、退勤したら何をするか…。どう生きていくのかというところが想像しやすくなったのです。
そしてこのことについて考え始めたとき、私が思ったのは次のことでした。


「この生活の仕方なら、中日の試合も仕事の後に見に行けそう。でも転勤してナゴヤドームから離れるのは嫌だな」


そこで気付きました。


「あれ? もしかして私中日が好き?」


実は私は幼いころから中日ドラゴンズのファン。
中高生時代も、帰宅して野球中継がついていなければ「なんで野球見てないの?」と言いながらチャンネルを変えていたし、ナゴヤドームにも当然よく足を運んでいました。今でも年に15試合程度はドームで観戦しています。 

2009年9月30日、立浪和義選手(当時)の引退セレモニーが行われた試合のスコアボード
2022年6月21日、三ツ俣大樹選手のサヨナラ打で勝利。
このあと高橋周平選手にアクエリアスをかけられる

 
春季キャンプにオープン戦、開幕すればレギュラーシーズン、(なかなか行けていませんが)ポストシーズン、秋季キャンプやフェニックスリーグ、ドラフトなど1年を野球、というよりも中日とともに過ごしています。
だから自分の趣味に充てられる時間を「中日ドラゴンズの応援」に充てることは、自然な考えでしかなかったのです。
インターンは2月でしたが、このときも中継や報道などで野球や中日のキャンプ情報を追っていて、それはご飯を食べることくらい自然なことでした。
つまりあまりにも身近すぎて、「自分は中日ドラゴンズが好き」ということを忘れていたのです。

2022年8月3日、バンテリンドームナゴヤで行われた2軍戦。
打者はこの日スタメン出場の京田陽太選手
沖縄県北谷球場での春季キャンプの練習の様子。背番号⑲は吉見一起選手(当時)


社会人生活を送る中で一番大切なものは何か。
この答えが見つかった時、「好きなものは何か」という問いの答えが見つかったのでした。

探したら見つかったけど

 
中日ドラゴンズに何かしら関わる仕事がしたい。そうと決まればまずは球団スタッフですが、残念ながら当時募集はありませんでした。
そこで次に考えたのが「中日新聞社」、そしてその説明会で「校閲」という仕事を知りました。
読書や方言など、言葉について興味があった私にはこれかもと思える業種でした。

そうして入社したものの、これまで校閲という仕事と関わりがなかった私にとっては、困難が多くありました。
表記のルール以前に、そもそもの言葉の使い方など自分の無知に呆れることも多く、自分には向いていないんじゃないか、甘い気持ちで入ろうと思ってはいけなかったんじゃないかと配属直後は特に悩んでいたのを覚えています。

転機はやっぱり中日ドラゴンズ。
その日はデーゲームを観戦して出社する予定でした。勝ち試合を見たいなあなどと思っていたのですが、そんな期待を大きく上回る試合になりました。
2019年9月14日、大野雄大選手がノーヒットノーランを達成しました。
中日ファンにはおなじみの、印象深いあの写真の日です。
あまりの興奮に手が震えたのをよく覚えています。 

ノーヒットノーランを達成した大野雄大選手とスコアボード


感動しながらの出社後、先輩のはからいでその試合の紙面の校閲をすることになりました。
そのとき、そのお祭りのようないつもよりもにぎやかな紙面を見て思ったのです。

「中日が優勝したとき、日本一になったときにその紙面や記事を校閲して、携わりたい」

あの日からもう3年たちましたが、いまだに「しっかりできるようになった」などと言える自信も力もありません。
知らないことやうっかりも多く、まだまだ努力が足りないと思う日々です。
それでも入社時よりは、少しずつできることが増えていると思っています。


好きなものはなんですか?
その答えで仕事を選んだあの時の自分は、きっと間違っていない。


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