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文豪・谷崎潤一郎は新聞をこう読んでいた!! 〜昭和30年代の随筆から〜

明治・大正・昭和と活躍した作家、谷崎潤一郎(1886〜1965年)。その谷崎が新聞の文章について語っている随筆をご存じでしょうか?
文庫本などに収録されていないため、あまり知られていないかもしれません。

学生時代、谷崎の作品研究をしているときに出合った文章を、3年目校閲記者の稲垣が、もう一度読み直してみました。

谷崎の考える「記事の大原則」

随筆のタイトルは「気になること」
1959年1月の雑誌『中央公論』(中央公論社)に掲載された、谷崎潤一郎が69歳の時の文章です。

『文章読本』などでも知られるように、谷崎は言葉への関心が非常に高い人物でした。この随筆には、日頃から新聞を読んでいて気になる言葉や言い回しを見つけたら、切り抜いて保管していたことが記されています。

谷崎は、新聞の文章のあるべき姿をこのように考えます。

この考え、現在の新聞製作にも十分通じるのではないでしょうか?
記者ハンドブックの「記事の書き方」には、

とあります。谷崎が随筆内で述べていたことと、おおよそ一致している気がしませんか?

半世紀以上の時を隔てているものの、「新聞社が目指すもの」「読者が新聞に求めるもの」から乖離していないことを実感できます。

新聞記事の気になるところ

とはいっても、文豪谷崎。
気になる記事を挙げればきりがないようで、随筆「気になること」では、実際に気になった記事を紹介し、それぞれ改善方法を解説しています。どこが読みにくい原因なのかどうすれば読みやすくなるのかが分かりやすく説かれていて、非常にためになります。

そこで語られる谷崎の主張には、記事を書いたり校閲をしたりする上での教訓となるものがいくつもあります。たとえば以下の文。

新聞記事は限られた文字数で物事を伝えなくてはなりません。だからこそ、このように1文字あったりなかったりするだけで違う意味になってしまうことも。

そのため校閲をするときには、明確な誤りの指摘だけでなく「この書き方だと本来の意味とは違うようにも読めてしまうのでは?」といった疑問をぶつけることもあります。

このほかにも、〈句読点を適切な場所に使ってほしい〉〈「土のう」のような交ぜ書きは読みにくい〉など、読者としての率直な感想がうかがえます。

校閲記者についての言及も

谷崎は昭和30年代の新聞製作の工程を一通り把握していたようで、随筆には整理部や校閲部の名前も登場します。

その上で、記事の推敲がどのタイミングで行われているのかは知らないそう。せっかくなので、この疑問に現代の校閲記者として答えてみたいと思います。

おっしゃる通り、文章の構成句読点の切り方について校閲部が手直しを求めることはほとんどありません。

記事は校閲部に届くまでに、執筆した記者とデスクとの間で推敲が加えられます。なので、校閲部が文章の構成や句読点について言及するのは、句点を付け忘れていたり初出から略称表記になっていたり…といった推敲の過程で生じたミスが多いです。

ただ、先ほども挙げたように、原稿や見出しを校閲していて「このままでは意味が伝わりにくいかも」と思ったときには、その旨を管轄デスクや整理部に伝えるようにしています。そういった意味では、多少は推敲に関わっていると言えるかもしれません。

谷崎からのメッセージ

校閲記者になった今、改めて随筆を読んだことで、文豪谷崎の新聞読者としての意見や考えに気付くことができました。
そんな中でも、特に印象深かったのが次の文です。

校閲をしながら新聞記事を読んでいると、表記ルールの順守や事実関係の確認に気を取られ、「ちゃんと読者の目線で読めているかな?」と不安になることがあります。

この部分を読み、読者にとって正確で分かりやすい新聞になることを目指して校閲をしよう!と改めて思いました。

今回紹介した随筆「気になること」は、新聞製作に携わる人だけでなく、文章を書くすべての人におすすめしたい内容です。
『谷崎潤一郎全集 第23巻』(中央公論新社)に収録されているので、興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

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