多様性という言葉だけが一人歩きしていないだろうか?
「嵐」の相葉くんと櫻井くんがそれぞれ結婚したことが発表され、世間を騒がせている。そのなかで「相葉雅紀&櫻井翔が結婚」という見出しが誤解を生み、「二人が結婚したのかと思った」「同性婚?」などのコメントが多く見られた。
文章に携わる者として、この見出しはいかがなものかと思う。人気アイドルグループから二人同時に結婚しただけで話題性は十分だ。変な煽り文句はいらないのではないだろうか。わざとこの見出しにしたのなら悪質だし、わざとでないとしたらもっと慎重になるべきだったのでは?と思う。
今回は「多様性」について私なりに思っていることを書いてみたい。
多様性(ダイバーシティ)を尊重するとはなんだったのか
最近は日本でも「多様性=ダイバーシティ」という言葉がよく使われるようになった。日本では「ダイバーシティ」を女性活躍の意味合いで使っている政治家が多い気がする。けれども、本当の意味は違う。
本来のダイバーシティとは目に見えない多様性も尊重し、それを生かした社会を創り上げること。女性の活躍に限ったことではない。
ダイバーシティと言われる割には、日本にはまだまだいろんな決めつけがある。代表的なのが「女らしく」「男らしく」という言葉。もう時代にそぐわない言葉になっている。なのに、いまだに使っている人は多い。
「主婦」という呼び方についての論争も起きたばかりだ。主婦については、こちらのnoteを参考にどうぞ。
私はライターになってから、こういった表現にはものすごく気をつけるようになった。だからこそ、今回の見出しについては残念でならない。100%は無理だとしても、できるだけ人を傷つけない、不快にさせない表現を選ぶのが、多様性を尊重することにつながるのではないだろうか。それをわざわざ誤解を生むような見出しにする必要性がどこにあったのだろう。
子育て中に抱いた違和感
息子がまだ幼稚園に通っている頃、同世代の男の子のママ友の何人かがよく使っていた言葉がある。
今では考えられないかもしれない。でも10年前、少なくとも私の周りではよく耳にした言葉だ。
それを聞くたびに、私は「女の子だから」じゃなくて「人に対して」やっちゃいけないことなんじゃないの?ならば男の子には乱暴してもOKなの?という違和感を覚えていた。だから、息子にはこう諭していた。
「男女関係なく人を傷つける行為はいけない」
当時の私には、ママ友にこの違和感を告げる勇気はなかった。私が告げることで、気づいてくれたママ友がいたかもしれないのに。
10年前に比べると意識の変化はあるだろうが、今回の見出しの件を考えるとまだまだジェンダーレスを実現し、多様性を尊重するにはほど遠い世の中なのだなと感じる。
悪意がないからタチが悪い
おそらく相葉くんと櫻井くんのそれぞれの結婚についても、同性婚だと勘違いしたことを素直にコメントしただけの人が大半だと思う。私もそのつもりだった。それに本当に同性婚だったとしても、それはそれで普通におめでたい話として受け止めていただろう。
でも今回の件で、セクシャルマイノリティを茶化されたように感じる人がいることも忘れてはいけない。今の時代、昔のように情報源が限られているわけではないから、SNSによっていろんな人の意見が目に入ってくる。誤解が生まれやすいからこそ、正しい情報を選び、伝えていかなければならない。
悪意がないからといって、なんでも言っていいわけではないのだ。発信する以上は自分の言葉に責任を持つのは当たり前のことだと思っている。
世間では「多様性」だの「ダイバーシティ」だの言われているけれど、私には単なるファッションとして使っているようにしか見えない。だって、今回のような見出しが話題になったのは、実際は多様性なんて尊重されていないことを露呈しているようなものだと思うから。
いつか本当の意味で多様性が尊重される世の中になってほしいと強く願う。
多様性については、このnoteも参考にどうぞ。
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