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「普通」なんてどこにもない。

「主婦なら家事をやるのは当たり前。普通のこと」
「普通の子どもは学校に行く」

この「普通」という言葉に支配されてきた人は多いと思う。いったい何を基準にして「普通」は存在するのか?

自分自身もこれまでずっと「普通」に囚われ続けてきたと感じている。いまは多様性が叫ばれる時代だ。にもかかわらず、この「普通」の呪縛から逃れられない人がたくさんいる。私もそんな一人だった。さまざまな出来事から「普通」への思い込みが変わってきたように思う。そんな自分の変化をお伝えしたい。

主婦が家事・育児をするのは当たり前なのか?

私が結婚したのはちょうど27年前。結婚や出産をしたら、女性は仕事を辞めて家庭に入り、家事と育児をするのが当たり前の時代だった。
私自身も何の疑問も持たず、子どもを持ちたいと考えたときに仕事を辞めて専業主婦になった。働く夫を妻が支え、家庭を切り盛りする。

共働きならば家事分担をするべきだという声もちらほら聞こえ始めた頃だったが、専業・兼業問わず「主婦」が家事をするものというのがまかり通っている時代だった。

けれども共働き家庭が増えてきた今の時代に、その考えはそぐわない。私自身も専業主婦ではなくなり、在宅で仕事をしている。

この「在宅ワーク」が、ある意味ネックだった。というのも「家にいるなら家事もできる」と思われてしまうからだ。

家がオフィスなだけで「専業主婦時代と同じように家事ができるか?」と問われたら、間違いなく「できない」と答えるだろう。

「家事は主婦がやらなければならない」

そんな思い込みはもう捨てたほうがいい。今は、できる人ができることをやる。そういう時代なのだ。

これは家事だけに限らない。

子どもの不登校で学校に対する意識が変わった

子どもが不登校になるまでは、学校に行くのは普通のことだと思っていた。この思い込みのせいで、子どもにツラく当たっていた時期がある。
子どもにとっては、さぞ居心地の悪い家だっただろう。

ところがあるとき、
「無理してまで学校に行く必要はないんじゃない?」
と思えるようになった。親として、子どもの不登校を受け入れる覚悟ができたと言うべきかもしれない。

「子どもは学校に行かなければならない」

この思い込みを捨ててから、私も子どももピリピリしなくなった。
いまだに悩みは尽きないが、二度と「学校に行きなさい」と言うことはないはずだ。

子どもの話は長くなるので、また別の機会にnoteに書こうと思う。

あらゆる思い込みを捨てよう

いい意味で時代は変化している。
ゆえに、かつての「普通」に縛られない生き方が求められているのだ。

もちろん昔だって良かった部分はある。でも、過去に囚われすぎていては時代に取り残されてしまう。
何歳になっても新しい流れや考えを取り入れ、「今」を楽しむ。

多様性が叫ばれている昨今だからこそ、私たちアラフィフ世代は柔軟に対応していくのが大切だと感じている。

家事シェアについてはこちらのnoteを読んでくださいね。


〜〜〜追記〜〜〜
ライターの仕事がメインですが、整理収納アドバイザーとしても活動しているので、よかったらホームページも見てください。HP内のブログで片付けのお役立ち情報も載せています。


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