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9月11日(日) 二百二十日

 にひゃくはつか、と読む。二百十日は漱石の小説のタイトルになったこともありややメジャーだ。二百二十日を知る人はずっと少ない。
 二百十日も二百二十日も立春の日から数えての日数だ。特に台風の襲来が多いため農家の厄日とされる。確かに先週も今週も台風接近のニュースが列島を騒がせている。

 台風は古典和歌では野分と言う。歌材としての追求はそれほど深くない。勅撰集に入ったのも『千載和歌集』以後だ。しかし『六百番歌合』では歌題の一つになった。そこで詠まれた藤原定家の歌が、後に『玉葉和歌集』に入集した。

荻の葉にかはりし風の秋の声やがて野分の露くだくなり

荻の葉にびょうと
そんなふうに吹き変わった風の
秋を告げる音は
そのまま台風が激しく吹き付ける音となり
荻の葉に宿る露を砕いてしまうのだ

玉葉和歌集・627・藤原定家

 藤原敏行が『古今和歌集』で「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」と詠んで以来、秋の始まりは風の音が告げるものとなった。音は風が木や草に触れて鳴らすもの。その木や草の代表格の一つが荻だ。
 そんな風を定家は野分=台風につなげた。大風だ。その風は血も涙も無く荻に宿った露を砕いて散らす。
 定家に描かれた台風は無慈悲だ。

925ヘクトパスカルの台風は来ない我らの街の屋根には

 925ヘクトパスカルの台風が来ない場所に住んでいることにほっとする。来る地域のことを他人事にしている自分に嫌悪感を抱く。経験できないことを少し残念に思う。



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