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学生芸人の思い出

最近用事があって名古屋に行った時、妻に連れられてラーメン屋に行った。
ラーメン屋に向かう道中、急に色んな記憶が蘇り、記憶に連れられ歩いていくと懐かしい建物があった。

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知らない人からすればただの雑居ビルのここには、とあるライブハウスが入っていた。
今はもう無くなってしまったそこのライブハウスは、音楽ライブも当然やっていたが、同時にお笑いライブもやっていた場所。
僕を含めて、学生芸人が集まっては、シノギを削っていた。

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(この建物の裏、階段の踊り場で本番前にネタ合わせしていた)

学生芸人とはそもそも芸人なのか、という問いに対して明確な答は出てこないが、少なくとも誰かを笑わせたい一心でネタを作り、披露し、笑ってもらっていたなら、あの時まで僕は芸人だったんだと言えるんじゃないだろうか。

狭い控室に、その日初めて会う人から先輩芸人まで、ぎゅうぎゅうに押し込められ、何か面白いことを言わないといけないようなあの空気。
和やかなようで、お互いがお互いの出方に常に気を張っているような落ち着かない空気。
肌がヒリつくような、ギラギラとしたあの空気。
言葉にすれば陳腐だが、あの場にしか無い空気が間違いなくあった。

学生芸人のライブとはいえ、学生芸人から事務所に所属する人も多く、謂わばプロの芸人も同じ鍋で煮込まれているようなそんな場所。
圧倒的な非日常の世界に飛び込むようなあの感覚は楽しみよりも怖さが強く、毎回ライブ(控室)に行くときは緊張していた。

終演後の平場でのトークも、爪痕を残してやろうとギラつく多くの芸人に気圧され、まさに戦場だなと感じていたのを覚えている。


結局僕は平凡な人間だったんだと思う。
あの仲間同士でも常にお笑いの刃みたいなものをぶら下げあってるような、常に試されている空気がしんどかった。
酒も飲めない僕は先輩芸人達とめちゃくちゃ仲良くなるわけでもなく、先輩芸人達と仲良くなるのは相方だった。

相方のおかげで色々な学祭のお笑いライブに混ぜてもらったり、芸人として立たせてもらえるステージは多かったと思う。
数少ないちょっとしたファンになってくれる人もいて、名古屋を歩いていて「●●(芸名)のmsdさんですよね?」って話しかけられた時は心底驚いた。

大学卒業の頃にやった、デカい劇場を貸切って開催した2時間の解散単独公演には140人くらいのお客さんが来てくれた。
たかが140人だろうか?
ただの大学生が有料でやったライブにしては上出来じゃないだろうか?

あのステージから見た客席、お客さんの笑い声、あの時この目で見て、肌で感じたあの感動は今後の人生でも忘れないと思う。


あの頃一緒にお客さんを笑わせていた他の芸人が今何をしているのか、正直わからない人も多い。
ただ、みんな絶対にそれぞれのフィールドで強く生きていると思う。

ピース又吉さんが書いた『火花』で、主人公である徳永の師匠にあたる人物の言葉を紹介したい。(ネタバレになります)

俺なあ、芸人には、引退なんてないと思うねん。『もし世界に漫才師が自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなあ』思うときあんねん
周りにすごい奴がいっぱいおったから、そいつらがやってないこととか、そいつらの続きとかを、俺たちは考えてこれたわけやろ?ほならもう、共同作業みたいなもんや
一回でも舞台に立った奴は、絶対に必要やってん。これからの全ての漫才に、俺たちは関わってんねん!
徳永は、面白いことを10年間考え続けたわけや。ほんで、ずっと劇場で人を笑わせてきたわけやろ
(中略)それはもう、とてつもない特殊能力を身につけたということやで。ボクサーのパンチと一緒や
無名でもあいつら簡単に人殺せるやろ?芸人も一緒や。ただし、芸人のパンチは、殴れば殴るほど人を幸せに出来んねん
だから、事務所やめて他の仕事で飯食うようになっても、笑いでどつきまくったれ! お前みたいなパンチ持ってる奴、どこにもいてへんねんから

僕達はあの頃、数は少なくても間違いなく誰かに笑いのパンチを放っていた。
そのパンチは時折かすりもせず、空を切るだけだったかもしれないが、拳を前に出し続けていたのだ。

だから全員それぞれの武器を持って生きてるんだと思う。


最近毎日毎日仕事で疲れきってたけど、久しぶりに当時のこと思い出して頑張ろうと思いました。

僕にしか無いパンチでどつき回してやろうやんけ。


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