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僕は文章にいつだって“一杯の茶”を求めてる

noteを半年くらい毎日書いててわかったんですけどね、僕はオチが無いってことに怯えてる節があるんですよ。

これは日常の会話でもnoteの記事でも言えることなんですけどね。

オチが無いことに怯えてるのか
オチを作らなきゃ気が済まないのか
どっちが先かは知らんけどとにかくオチがほしいんですよ。

noteの記事書いてても、最後の最後オチなくて全部消したことありますもんね。
大体妥協してアップするんで、オチ無い記事もありますけど。
何に怯えてるか知らんけど、「特にオチのない話」とか自分でつけてましたわ。


たまに、延々と話すけど最終的に声がフェードアウトしてく人おるじゃないですか。
…えっ?
ってなりますよね。
話せば話すほどオチを期待してしまうとこあるんですよ。

別に会話なら、仲良ければ「オチは?」って聞けるし、オチが無いって言われたら「無いんかい」で笑えるから良いんですけどね。

ただnote(に限らず読み物)はそうはいかないでしょ。
noteの記事のコメントで「オチは?」「無い」「無いんかい」なんてやり取りせんでしょ。
コメント欄に「で、オチは?」とか書いたら多分喧嘩売ってんのかな?って思われますもんね。
僕はそういうのあっても良いと思いますけどね。

別にオチって必ずしも笑いに繋がらなくても良いとは思うんですよ。
特にnoteみたいな記事におけるオチは、文章のリズムを最後にスッと落とすことだと思うんです。

で、そのオチが面白かったり上手かったりするとなお良いって感じなんじゃないですかね。

古典的な話で言えば、あまりに有名な『まんじゅうこわい』もそうですよ。
あれは最後に一杯の茶が怖いって言うから気持ちよく終わるわけじゃないですか。
いや手段がまんじゅうとは言え暗(餡)殺しようとしてる時点で、そいつら騙してるだけでも小気味良いけどさ。
それでもただ騙してまんじゅう食って美味しー!で終わったらなんかバッドエンドを想像しちまう。
そこを一杯の茶が怖いって言うから面白く終わるんですよね。

やっぱオチって重要なんだよなあ。



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