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もしも、偉大な哲学者がnoteをはじめたら・・・

こんにちは、音楽家のこうたろうです。

最近パスカルのパンセという本に触れ、数学者ならではの論理的な哲学に感銘を受けたので彼の名言などをシェアしていきます。

音声で聞く方はこちら

筆者がパスカルに興味を持ったきっかけとしてこんなエピソードがあります。。。

パスカルは、ある日友人にとても丁寧で長い手紙を送ります。
最後は次のように締めくくられていました。

複雑にするのは簡単です。
ものごとをシンプルにするのは智慧と労力が必要になります。
数学者ならではの視点ですよね。

パンセとはnote?

本日のタイトルにもなっている『もしも、偉大な哲学者がnoteをはじめたら・・・』ですが、まさにパスカルが書いたパンセのことを指しております。

パスカルは39歳という若さでこの世を去った自他共に認める天才ですが、パンセを読むとnoteというフォーマットが実によくできたフレームであるかを感じることができます。

パンセ

パンセは『考えられたもの』と直訳されます。
→元はフランス語の『考える』

パンセは現代でこそパスカルの代表的な哲学書として読み継がれてきていますが、執筆当初は制作途中のメモ帳だったそうです。

924章からなるメモ帳で、1行で終わるものから紙にびっしり書かれた論文調のものまで様々。

まるでnoteの記事とつぶやきのような関係性にも感じました。

noteでコメントがついたり、いいねがついたりするとついつい嬉しくなって、『誰かのためになる記事をかかなきゃ・・・』なんて無意識に思ってしまうところがあるかもしれませんが、パスカルのようにただ単純に思考の整理で気軽に投稿していくのもいいかもしれませんね。

そしてそうやって気軽に思考の整理目的で投稿されている方の記事から思わぬ発見や学びがあったりするものです。

パスカルのつぶやき

さて、そんなパスカルはnote(オフラインの)にどんな記事を書き、どんなつぶやきを残していたのでしょうか?

印象的なものをいくつかピックアップして引用させていただきたいと思います。

智慧について

時は遡り、インドの哲学者、釈迦も智慧について『知識とは単に道具であり、どう使うかが重要である』と説いています。

知識は増えれば増えるほど人生が重くなる、必要なのは智慧。
智慧とは、人生の大事な瞬間に何をすべきかひらめくということ。

このようなニュアンスのことを教えています。

ある方程式の解を知る(知識)ことになんの意味もありませんよね。
解を求めるための智慧が必要です。

パスカルはパンセにこのようにつぶやいています。

ところで、原理を一つでも見落とせば、誤りにおちいる。
だから、あらゆる原理を見るために、よく澄んだ目を持たなければならず、次に知り得た原理に基づいて推理を誤らないために、正しい精神を持たなければならない。

パンセ(翻訳:中央公倫社『世界の名著』)

このコメントは記念すべき第一章(初note!)。
もう少し進むとこのようなことを記事にしていました。

〜中略
しかし私は、人間に他の同じように驚くべき驚異を示そうとおもうのであるが、それには彼がその知る限りのなかで最も微細なものを探求するのがいい。
一匹のダニが、その小さな身体のなかに、くらべようもないほどにさらに小さな部分、すなわち関節のある足、その足の中の血管、その血管の中の血、その血の中の液、その液の中のしずく、そのしずくのなかの蒸気を彼に提出するがいい。
そしてこれらのものをなおも分割していき、ついに彼がそれを考えることに力尽きてしまうがいい。
こうして彼が到達できる最後の対象を、今われわれの論議の対象としよう。
彼はおそらく、これこそ自然の中の最も小さなものであると考えるであろう。
私はそのなかに新しい深淵を彼に見せようと思う。
単に目に見える宇宙だけでなく、自然について考えられる限りの広大無辺なものを、この原子の縮図の枠内に描き出してやろうと思うのである。
彼はその中に無数の宇宙を見、そのおのおのがそれぞれの天空、遊星、地球を、目に見える世界と同じ割合で持っているのを見、その地球の中にもろもろの動物、そしてついにはダニを見るがいい。

パンセ(翻訳:中央公倫社『世界の名著』)

まさに釈迦の悟りと同様のこと、原理から智慧を見出しているわけです。

ちなみにこちらは72章。
この章を読むことで智慧を構築していく思考回路を育むことができます。(できるような気がする・・・)

そしてついにはダニを見るがいい・・・というフレーズが実にセクシー。

人生はまるで川のように

川は人が行きたいと思うところへ運んでくれる、進行する道である。

パンセ(翻訳:中央公倫社『世界の名著』)

17章。
このフレーズで真っ先に思い浮かんだのが、詩人のピート・シンフィールド。

引用:Wikipedia

PFMというイタリアのプログレッシブバンドの幻の映像という作品の歌詞にRiver Of Lifeという歌詞があります。

日本では当時『人生は川のようなもの』と直訳されていました。

歌詞の引用元表記を特定できないため紹介できませんが、是非調べてみてください。
パスカルのパンセとリンクしています。

語学学習?

言語というものは、文字と文字とが置き換えられているのではなく、言葉と言葉とが置き換えられている暗号である。
したがって、未知の言語も解読可能である。

パンセ(翻訳:中央公倫社『世界の名著』)

パスカルが物事を智慧で見ていた様子が伺えます。

現象を見る視点

こぼすか注ぐかは、故意かどうかによる。

パンセ(翻訳:中央公倫社『世界の名著』)

中道

われわれの感覚は、極端なものは何も認めない。
あまり大きい音は、われわれをつんぼにする。
あまり強い光は目をくらます。
あまり遠くても、あまり近くても、見ることを妨げる。
話があまり長くても、あまり短くても、それを不明瞭にする。
あまり真実なことは、われわれを困惑させる。
私はゼロから4を引いてゼロが残るということを理解できない人たちがいるのを知っている。
第一原理はわれわれにとってあまりに明白すぎる。
あまりに多くの快楽は、不快にする。
あまりに多くの協和音は、音楽では、気にさわる。
あまりの恩恵は、われわれをいらだたせる。
われわれは負債を余分に償えるようなものがほしいのである。

パンセ(翻訳:中央公倫社『世界の名著』)

音楽の協和音はまさに、不協和がなければ際立ちません。

なぜ協和は不協和へ、不協和は協和に向かうのか?
については機会があれば別の記事で紹介したいと思います。

人間関係・人付き合い

人は、普通のオルガンを弾くつもりで、人間に接する。
それはほんとうにオルガンではあるが、奇妙で、変わりやすく、多様なオルガンである。(そのパイプは順に並べられていない。)
普通のオルガンしか弾けない人は、このオルガンで和音を出せないだろう。
がどこにあるかを知らなければならない。

パンセ(翻訳:中央公倫社『世界の名著』)

これはまさに彼の初noteである第一章でのフレーズ『原理を一つでも見落とせば、誤りにおちいる。』が当てはまりますね。

姿形は普通のパイプオルガンであっても、その音の出る仕組み、順番、そして音階の知識すべてを総合してはじめて奏でることができます。

しかし、それは簡単なことではありません。
人とは(奇妙なオルガン)注意深く何度も考察し、失敗を繰り返し、それでも諦めずに誠実に向き合うからこそ美しいハーモニーを奏でられるのかもしれません。

まとめ:noteの利点

noteはGoogleの検索エンジンには決して引っかかることのない記事を見ることができるのが最高の利点であると思います。
特に、医療や介護分野の記事は専門知識を持った方が実体験や経験に基づいて発信されているので非常に参考に、勉強になります。

パンセのように誰かの思考回路を拝見できるのも非常に愉快。

1600年代の偉人のnoteを読んで染み染み感じた日でした。

ちなみにパスカルはこんなつぶやきも・・・

彼に酒をやらないでみたまえ。
彼は真理を見出せなくなる。
あまり多くても同様。

パンセ(翻訳:中央公倫社『世界の名著』)

というわけで、今日はいつもよりも少なめに・・・ワインを嗜みながらパスカルのnoteと共に眠りに付きたいと思います。

では。