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結局人は、「見た目」か、「中身」か

こんばんは!😊

今日は、ちょっと大人な恋愛?!人生感的な話しをします。

ずばり、結局人は「見た目」が大事なのか、それとも「中身」が大事なのか。答えはこうだと思います。

「見た目以上の中身でなければならない」

逆に、中身以上の見た目に魅力はない

大人の仮面を被った子供

もう私たちは見た目だけで誰かを愛せるほど若くはありませんし、性格だけで愛せるほど達観したお人好しでもありません。人生の半分以上は、そんな子供でも大人でもない期間であるのです。そのくらい気ままでいいのだと思います。そもそも選択肢が二択しかない問題は設問自体が間違っていて、大抵用意された選択肢に、正解はありません。

ともあれ、選択間題を解くのは簡単です。でも「それを選択した理由を述べよ」という問題になると、話は幾分ややこしくなってきます。

しかし人は、とにかく理由が好きな生き物なのです。なににでも誰にでも理由を欲しがります。たとえば初対面の人と互いの趣味を教え合う場面で「どうしてそれを好きになったのですか」。就職や転職の面接の場面で「どうしてそれをやろうと思ったのですか」。あるいは、友人との会話で「どうしてその人と付き合おうと思ったの」。など…
まぎれもなく、知りたいという好奇心があるから人類は進化を遂げたのだけれど、「なぜそれを好きになったのか」という質問は、軽い暴力のような響きを伴って襲ってきます。そうして毎度その類の質問に、頭を抱え込むことになります。

本当に好きになった理由は、答えにくく、説明できないものなのです。本当に好きであればあるほど。適当な理由はもちろんいくらでも思いつきます。

どうしてその人のことが好きなのかと訳かれて、「笑った顔が好きだから」だとか「優しいから好き」と答えるのは簡単です。でも、事実は違います。その理由らしき理由は、他の「顔の良い人」や「もっと優しい人」といった、その特性を満たす他の人と代替可能なはずでした。しかし、そんなどこにでもいる代替可能な人間に魅かれたわけではありません。「だから好き」ではなく、ふと、好きになってしまったのです。

みなさんも気づいたら好きになってた。気になってたみたいなことありませんか?

論理的に説明できないから好きになって、あらゆる言葉や修辞ではもはや取り繕えないから好きになったのです。もはや誰かに説明する必要性さえ感じないし、そうすることも不可能だと思えるほど、途方もなく孤独にさせられたから好きになったのです。一体全体、理由がわからないから、好きなのです。
だからもう、好きに、理由はいらないと思うのです。だからもう、私たちは、誰かに理由を訊くということを放棄していいのです。どうしてそれを好きになったのかと訊かれて、「いいえ、分かりません」と答えたなら、こいつは無責任な人間かもしれないと思われるかもしれません。でも、それでいいのです。それが唯一の真実なのです。私たちは分かり合えないままでいい。誰とも分かり合えないまま、黙って愛し合っていければ、それでいいのです。

次が10投稿目になるので、良かったら、また見にきてください❗️

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