「インプットってどうしてますか?」という質問に対するひとつの結論。
結論、出すから入ってくる。
コピーや企画の講座。ひとしきり話を終えた後に行われる質疑応答にて「どのように日々インプットしているのでしょうか?」という質問をいただくことがある。けっこうある。ということは、どうすれば学びの機会を増やせるのだろうかと、考えている人が多いのだろう。
新しい服が着たいと思って、いくつもの雑誌を眺めてみたり、いくつもの洋服屋さんをまわるエネルギーが出てくるのと同じではないかと思う。やらなくちゃというアウトプットの必要に迫られた時に、インプットのスイッチがぴこんと入る。
あの仕事の案件に参考になる本はないかな〜、と本屋さんに行ってみたり、ヒントになるシーンがあるかもしれないから映画を観に行ってみたり。こういうことは誰しもあるんじゃないだろうか?
僕も、今、作詞の機会をもらって、やるぞ〜!とスイッチが入って、作詞家の方たちの書かれた本で学ぶことにも励めてるし、日常に起こる何かを逃さずに書くのだ、と思えている。
そう。インプットは後からなんとかなるから、アウトプットに迫られる必要がある。もちろん日々アウトプットの連続すぎると、すっからかんになってしまうから多少の時間の余白は必要だとして。
「締切は発明の母」だから、とにかく相手から締切をもらおう。ということでもあり、みずから動き出す場合は、「思いつきを約束に」してしまうことがいちばんだと思う。
「こんなこと考えてるんだけど、こんど話を聞いてほしいんだよね」と人と約束にしてしまえば、その時までにちゃんとまとめようというエネルギーが湧いてくる。
そして習慣を持つことも大切だと思う。出すために入れるし、入れたら出す、呼吸するような習慣を。僕は広告を見るのが好きなので、街中で見つけた面白いと思う広告をTwitterにて「#広告空論」でつぶやきつづけている。
あとは、出会う中でもらった言葉を「#はっとした」で記録しつづけている。これもTwitterというアウトプットの場がなければつづいてない。
でも、人間だから、う〜ちょっと面倒くさいな、と思う時はある。でも、迷った時こそやる、と思いながらつづけている。
「探しものは何ですか? 見つけにくいものですか?」そう井上陽水さんは歌っていて。「探そうと思うから見つかる」ということだよなあ、とふと思ったのでした。探しものは、あきらめたころに、見つかったりもするけど。
出す時が、いちばん入る。
それは、飛ぶぞと決めたら助走もするし、飛び方を模索することにも似てる気がした。