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株式市場の悲惨な暴落史

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音楽家、芸術家にとって最も弱点となるのが経済、金融です。
だって、創作しているとそんなことどうでもよくなっちゃいますよね。
すごくわかります。

しかし将来共産圏に亡命するつもりがなければ
資本主義の仕組みとマーケットのこと
しっかりと学びましょう。

音楽だって誰かのために制作し
提供する
その誰かが感謝の気持ちを贈る

この循環が基本的な経済の仕組みです。

音楽を取引することから逃げないように
しっかり経済、金融を学んでください。



1873年~ウィーン証券取引所の暴落

1873年5月9日のブラックフライデー
ウィーン証券取引所の株式価格は下落
さらにパニック売りの波により引き起こされました。

この暴落は
当時開催されていたウィーン万国博覧会の来場者数の減少にもつながっています。

この事件の後は証券会社の約半数が
取引所に上場しなくなったとも言われています。

1907年~1907年恐慌

1907年、F・アウグスタス・ハインツ(F. Augustus Heinze)所有のユナイテッド銅(United Copper、ユナイテッド・コッパー)社の株買い占めがきっかけとなって始まりました。

F・ハインツはモンタナ州ビュートの銅鉱山で財を成した実業家。

F・ハインツとチャールズW.モースの二人の投機の重みで会社は生き残れず、株価は急落。

他の多くの企業がそれに続きました。

銀行や金融機関に対する国民の信頼は失墜し
預金者は資金を引き出しに走りました。

民間金融業者のJPモルガンは、1907年恐慌の救済に乗り出します。

メモJPモルガンは当時空売りを仕掛けていた20世紀の投機王:ジェシーリバモアに空売りを止めるよう連絡を入れたと言われています。

その時の様子を漫画形式でよく表しているのが
リバモアの株式投資術という本です。
空売りに関してはまた別の記事にて詳しく紹介していきます。


1929年~ウォール街大暴落

米国の株式市場は、狂騒の20年代としても知られ
1920年代には大規模な成長を遂げました。

過熱した経済は、1929年にピークに達します。

株価は1929年9月と10月に徐々に下落し始めました。

パニック売りの始まりは10月21日。

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