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伝えることで見えるもの

 人間は、相手に何かを伝えたり教えたりするときに、相手のレベルに合わせて伝え方を変える。大人に何かを伝えるときと、小学生に何かを伝えるときを考えればわかりやすい。ほとんど無意識のうちに相手のレベルに合わせて言葉を選び、伝え方も工夫する。
 言語が異なるもの同士のコミュニケーションでも当てはまる。カタコトの日本語で話しかけられたら、多くの人はとっさに相手の日本語レベルを察知して、それに対応する言葉で伝えるだろう。いろんな背景や文化をもった人が集まるアメリカだと、みんながある程度は英語を使えると思っているので、わざわざ相手のレベルに合わせることはしないらしいので、すべての国で当てはまるわけではないようだ。

 相手のレベルに合わせて伝え方を変えるのは、話し手が相手のレベルをどのように見ているか示している。小学生にシンプルな言葉や擬音語を混ぜて伝える場合、話し手は相手の小学生の理解度がその程度だと考えている。
 そのため、大人に向かって小学生に対する話し方をすれば、あなたは小学生と同じ理解力だと暗に意味していることになり、失礼とみなされる。もし相手が知的な小学生で大人びているのであれば、大人と同じように接するほうが礼儀としては正しいだろう。見た目だけで判断してはいけないということだ。
 同様に、高齢者に話しかけるときに、わざわざ大きな声で話しかけるのも失礼だといえる。相手を思った優しさだとしても、高齢者は耳が遠いという前提は、差別や偏見と言われかねない。話をするうちに、自分の声が相手に届いていないことがわかってから、態度を変えるのがよいだろう。

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当たり前だと思っていたことを疑うと、新しい発見があるかもしれない。繰り返しの毎日にスパイスを与えるエッセイ集

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