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手招きに合わせてステップを踏む、そこに自分らしさは

 ムスヒと街の山側へと出かけた。

 私の用事に付き合ってもらう約束だった。

 二人で手を繋いで真冬の街を歩く。街を行く人はみんながみんな暗い色の洋服に身を包んでうつむいている。

 しかしムスヒは今日はマフラーに黄色を使い、柔らかな白のムートンコートを着ていた。一人、とても目立っていた。

「ねえ、タツヒコ。まだ着かないの?」

「もう少しだ」

 私が答えると、ムスヒはふうんと言って山の峰に目をやる。

「すまないな、付き合わせて」

「謝らないでよ。私はタツヒコといられればどこだっていい」

「そうか」

 神社を通り過ぎて坂道を登っていく。何度かムスヒにまだかと言われながら目的地にたどり着いた。

 坂の中腹のガラス張りの店。外から覗いても私は魅了されそうになった。

「革のお店?」

「ああ、そうだ」

 答えた私はガラス戸を引いた。

「いらっしゃいませ」

 髪をうしろでひとつに結い上げ、髭をたっぷりとたくわえた男性の店員に出迎えられた。ドアを開けた瞬間からまだ若い、新品未使用の革独特の香りが漂った。

「少し見せてもらっていいだろうか?」

「もちろんです」

 私がひとこと断ると店員は笑顔で答えた。後ろでムスヒも頭を下げている。本当にムスヒは黙っていれば行儀がよさそうに見える。

 店内のショーケースをひとつひとつ見ていく。がま口の小銭入れ、ジッパーのついた長財布、ブライドルレザーのダレスバッグ、少し砕けたデザインのバックパック、古い記憶が脳裏に浮かんだ。

 ムスヒが私の耳に口を寄せてこっそり言った。

「自分で作れないの?」

「技術が少し違う。革の質感はもちろんだが、縫製の仕方など勉強になることがたくさんある」

「そういうもんなのね」

 ムスヒは分かったような分からなかったような顔をして、ショーケースを見つめ続けていた。

 しばらくそうして、店のカタログをもらって外へ出た。

「ね、タツヒコ」

「なんだ?」

 私が振り向いてムスヒに問うと、ムスヒが私の手を取った。

「タツヒコの作った物。なんでもいい。靴がいいけど。欲しい」

「そうか」

 私がそう言うとムスヒは満面の笑みを浮かべた。

「タツヒコの作った物の匂い嗅ぎながら一人でしちゃおうかなと思って」

「そういう目的のためなら作らない」

 ムスヒがむくれる。

「何よ、冗談に決まっているじゃない」

「お前が言うとあながち冗談でもなさそうだ」

 私はひとつ息を吸った。

「あの店でかかっていた曲に聴き覚えは?」

「ん? 音楽なんてかかっていたっけ?」

「かかっていた。昔のアメリカのロックバンドだ。私は彼らのアルバムを一枚だけ持っている」

「へえ、なんで古いロックバンドになんて興味を持ったの?」

 私は隣で無邪気に笑うムスヒを見て、その目をじっと見つめた。

「なぜ人は記憶の中に生きるのだろう?」

 ムスヒの返答はない。

「なぜ人は空想の中に生きるのだろう? 今ここにある現実は、誰かが理想としてその胸の中で燃やしたものだ」

 心なしか私の手を握るムスヒの手の力が強くなった。

「そうして獲得した現実を生きず、なぜ幸せだったあの頃に思いを馳せたり来るかどうかも分からない未来について思い悩むのだろうか」

「それは、不安だからよ」

 ムスヒがつぶやいた。

「みんな不安なの。怖いの。私も怖い。時々タツヒコは私じゃない誰かを見ている気がする。それがとても怖い」

 何を恐怖する必要がある? そう問えない自分の心がざらついた。

「私はお前に靴は作らない。女性に靴を送るのは遠くへ旅をしなさいという意味だと教わった。お前にはどこにも行って欲しくはない」

 ムスヒの返事はない。

「私も怖いのかも知れない。不安なのかも知れない」

 ムスヒが端末を取り出し、端末にイヤフォンを繋いだ。片耳にイヤフォンをはめるともう一方を私に差し出した。

「そんな時のために音楽があるんじゃない?」

 ムスヒの言葉に頷いて、イヤフォンを受け取った。自分の耳にはめるとムスヒが言った。

「さっきのバンドのアルバムの名前教えて」

 私が答えるとムスヒは端末を自在に操った。そして次の瞬間、アルバムの一曲目の疾走感のあるナンバーがイヤフォンから流れ始めた。

「へえ、かっこいい」

 笑顔でこちらを向いたムスヒをその場で抱き締めた。どこにも行くな、どこにも消えてしまうな。焦燥感が胸を焼いていた。

Fin

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