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"好き"と"承認欲求"

本当に好きなことってなんだろう。通勤途中のバスの中でふと思う。

写真・旅・海外生活・音楽・読書・物書きetc…

好きなことはなに?って聞かれた時に答えるのものたち。でもなんで好きなの?って考えてみる。

好きなことに理由はない。はひとつの正解だと思うけれど、どこかしっくりこない。

なんで好きだと思うのだろう。

今の生活に当てはめてみると、上に書いたそのどれもがSNSでの発信がベースにあることに気がつく。じゃあ「イイネ」が来るから、"好き"なんだろうか?って思った。

イイネがたくさんつけば嬉しいし、テンション上がる。よしよし!って思うし、フォロワー伸びろ!って思う。朝起きてInstagramを開いて、イイネとコメントがたくさん来ていると嬉しい。嬉しいのだ。

これは承認欲求が満たされているって事だと思う。

一応断っておくけど、承認欲求自体を否定するつもりは全くない。むしろあってしかるべきものだし、それが自分の原動力になるのならば、大いに素直になれば良いと思う。

じゃあこう考えてみる。

"承認欲求を満たされる事が好きなことなの?"

んー、それはなんか違う気がする。

じゃあ上にあげたものからSNSを引いてみる。いや、例えば世界に自分しかいないとして、その世界で何でも出来ると仮定してみる。写真を撮れるし、自由に旅も出来る。

その代わり、誰にも見られない。
たった1人、自分はそれに夢中になれるのか。

小学生の頃に夢中になったポケモン。誰と比べなくても、夢中でやった。朝起きたら朝ごはんよりもピカチュウ。帰ってきたら宿題よりもレベル上げ。誰の目もなく、ただひたすらに夢中になれる。その世界に没頭できる。

そうして考えた見た時に、本当に好きなものってなんだろう。今の自分に、本当に好きなものなんて無いんじゃないか。

あえて言うならば、"承認欲求を満たされる事が好き"ってことになるのかもしれないけれど。

でもここでひとつ疑問が出てくる。

"承認欲求が満たされるなら、何でもいいの?"

いや、これは明確に否定したい。

何でもよくない。認められるからと言って、欲求が満たされるからと言って、何でもいいから満たされたいわけじゃない。

やっぱりやりたい事をやって、満たされたい。
そしたらそのやりたい事は、好きな事なのか。

んー、ループが始まる。

本当の"好き"はなんだろう。

誰もいない世界でもやり続けるような事って、なんだろう。

こーた

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