見出し画像

タダ働きの方が楽しい理由と会社のカルチャーの関係

僕が仕事をしている理由は、お金を稼いで美味しいご飯を食べるためであり、家族を養うためである。給料のために働いており、金銭的なベネフィットがなければ、違う仕事を探す必要があることは間違いない。
また例えば、何かのシステムを実装してくれという依頼を受けてそれが自分が思ってる価格より安かったら、仕事を断るだろう。お金って大切。

一方で、友人からプログラミングを教えて欲しいとか、新しい事業の相談に乗って欲しいと言われたら嬉々としてカフェに向かう。何ならそのための準備も惜しまない。そもそも人に何かを教えることは好きだし相談に乗ること自体も自分自身が楽しいので何ら苦にはならない。
ただ多分、これがプログラミングを時給1000円で教えて欲しいと言われたら多分断るだろうなと思う。
考えてみたら不思議なものだなと思うわけで、なんで時給1000円だと断って時給0円だと僕は喜んで受けるんだろうね。

この経済的には明らかに不合理な行動は、行動経済学による「社会規範」と「市場規範」により説明できるらしい。

ある保育園で親たちが園児を迎えにくる時間が度々遅くなり、保育園の保育士は困っていた。ただ、親は遅刻した場合は非常に申し訳なさそうにしていて次からは気をつけると言っていた。
ある時、保育士は遅刻したら罰金を取ることにした。これにより遅刻は減るのではないかと期待して。結果は残念ながら効果がほとんどなかった。何なら遅刻は以前より増えてしまった。さらにそればかりか親たちは以前は申し訳なさそうに次は遅刻しないと謝っていたのだが、罰金を取るようになってからは「お金を払ってるのだから遅刻しても悪くない」といった態度を取るようになった。

社会規範とは、「遅刻せずに迎えに行こう」というみんなで守るルールである。一方で市場規範は、「遅刻したら罰金を払う」というルールで遅刻の対価を金銭で置き換えることができることにした規範だ。
この例からわかるように、「社会規範」は「市場規範」より強く人を動かす力を持っている。僕が(いやいや?)仕事をやる一方で、楽しく友達にプログラミングを教えちゃうのもそういう力が働いてるという事になる。

で、これは会社と従業員の関係、会社のカルチャーと呼ばれるものにも大きく関係してくる。
従業員は給料のために働いているのだが、それだけの関係で仕事を一生懸命してもらうのは非常に難しい。もしくは大きな待遇を必要とし、経営面では非効率であると言える。この「市場規範」をベースとした関係ではなく、従業員には「社会規範」をベースとした感情を会社に持ってもらいたい。
つまり、従業員が仕事に打ち込み、仕事を楽しみ、会社のために頑張ろうという気にさせてくれる会社であるために、お金ではない社会意義や会社が従業員を守ろうとしてくれていることを示す言動や福利厚生が極めて重要だということに繋がる。会社が従業員と社会規範をベースにした関係を築けると、それは長く続く関係、相互利益や肯定的な感情を作り出す重要な役割を果たせる。
会社の事業が社会的に何らかの意義がある事を明確に示すこと、つまりビジョンやミッションを作ることは「社会規範」ベースの関係を築く1つの手段だし、会社が1人1人のメンバーの成長にコミットし手助けをする理由も成長することで会社に貢献してもらうという理由以外に、会社に対して肯定的な感情を持ってもらい、社会規範をベースにした関係を築くという意味があるんだね。なるほど。

今回読んだ「予想通り不合理」は、上記だけでなく経済的には明らかに不合理な人間の特性を様々なケースと共に紹介している。不思議だけどこの人間の不合理な行動は再現性があり、脳による錯覚のように逃れることができないものだと。で、重要なのは、そういう錯覚が存在することを知って、意識して行動できることだという話だった。改めて指摘されると確かにあるあるだなーという話が多くて日常でも役に立ちそうな本でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?