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ボロアパートに新品のピアノ

さて、頭がおかしくなりかけたところでピアノについて少し触れよう。

幼稚園で週に一度ヤマハ音楽教室の出張レッスンを受けていた私に、何かを感じたピアノ講師が母に助言したからなのか、ある日県住のボロアパートに新品のアップライトピアノが納品された。(保険を1つ解約して購入したと後に聞いた)

小学校に上がると同時に、ヤマハ音楽教室を辞め、当時地元では厳しいと評判だった男の先生のレッスンを週一回受ける事になった。母が地元のコーラス部に所属していた際、伴奏していたのがK先生だ。その先生のもとに高3まで通った。

K先生以外の地元の先生を私は知らないのだが、『あの先生怖くない?厳しいんでしょ?』とよく聞かれた。心の中ではこんなに優しい男の人がいるのかと驚いたのであるが。(当時の私は男とは人を殴るもの、裏切る生物だと刷り込まれていた)

母がK先生を気に入った理由…お辞儀の仕方からきちんと教える、ピアノに対して敬意を払う取り扱い方、礼儀を叩き込む、この3つが気に入ったらしい。
これは本当に習っておいて良かったと思う。例えばレッスンの初めに『お願いします』と大きな声で言ってお辞儀をする、これができないと永遠にレッスンは始まらない。爪が伸びていたらその場で切るよう言われる。

これらを厳しいととるか怖い先生ととるかは人によるのだろうが、当たり前の事として受け入れた。K先生のレッスンが厳しいなんて高3の終わりまでただの一度も思わなかった。

小学校低学年は1日30分の練習、集合住宅なので20時まで。母は唯一ピアノを弾いている時だけ、私を殴らなかった。その時からピアノは私にとって唯一現実から『逃げる』ことのできる対象となった。

母も本当は自分がピアノを習いたかったらしい。祖母は自分が女学校止まりで大学に行かせてもらえなかった事を随分悔しがり、長女である母に『勉強だけしろ、東京の大学に行かせてやる、お前は1番が取れなくて悔しくないのか!』という徹底した教育ママだった。長女である母に随分期待し、毎朝5時半に叩き起こして祖母自ら勉強をみる。米軍基地が近かったので、ネイティヴ英語を習わせに基地まで通わせた。高校の時所属していた英語の弁論部で全国大会まで行き、相手の慶應高校の男子生徒を叩きのめしたという話は新聞にまで載ったらしい。母の英語の発音は今でもとても綺麗だ。

メキメキと成績は上がり、上位3番以内に常に居た母は、祖母の思惑通りそのまま東京の私立の四年制大学に進学した。その当時、地方から女の子を東京の私立四年制大学に入れる家庭は非常に少なく、稀だった。祖父の事業がうまくいっていたのもプラスに働いた。
残念ながら第一志望の青学の英文科は滑ってしまったが、記念に受けた大学の仏文科に引っかかり、母は目白の一等地にある広大なキャンパスで大学生活を送ることになる。それはまた別の機会で話そう。

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