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ピアニストへの夢

相変わらず県住のボロアパートで、怒号を飛ばされながら毎日ピアノの練習をする日々は続いた。

学校でも陰湿な嫌がらせには遭ったが、家に居る時間に比べたら何てことはなかった。

その頃の私は『将来はピアニストになりたい』と本気で思っていた。もしかしたら…いや、母もそうさせたかったのかもしれない。

そんな時、K先生からコンクールを受けてみないかと言われた。
ピアノの発表会は毎年春と秋に、プラスK先生の自宅でちょっとしたクリスマスコンサートをするのが恒例行事だった。
課題曲が何だったのかも覚えていないが、母も私もコンクールに出るという一大イベントに必死になり、練習とレッスンを詰め込んだ。

ピアノを習った事がある人はご存知かと思うが、発表会とコンクールは全く違う。自分の演奏に点数がついたり、予選、本選があったりする、当然審査員という人たちが判断する。

全国日本音楽何とか…の地方コンクールの一種だっだ。私と母とK先生3人で会場入りした。

結果は惨敗、予選通過もせず、かすりもしなかった。
他の同い年の子たちの演奏も聴いた。皆ビックリするほど堂々と演奏していて、ものすごく上手だった。本当に同じ学年なのか?と耳を疑いたくなるような演奏をする子どもたちでいっぱいだった。

あまりの差にショックも受けなかったが、その代わり自分がいかにコンクールを甘く考えていたのか、ということを思い知り急に恥ずかしくなった。
同じ小学校の1学年下の女の子がコンクール上位入賞者になり、ある時直接彼女から話を聞いた。

仮にMちゃんと言うその子は髪の毛の長いお人形さんみたいに綺麗な女の子だった。高台にある白くて大きな家に住んでおり、小学校低学年の頃から家にグランドピアノがあった。Mちゃんのお母さんは現役のピアノの先生であり、お母さん以外の別の先生にも習っていると聞いた。
彼女のピアノの練習時間は1日3時間、1日30分の練習に発表会やコンクール前は時間を足して毎日1時間していた私とでは月とスッポンだ。

こりゃかなわん、どう考えたって何もかも違いすぎる。その後Mちゃんは別の付属中学に転校してしまったが、学年は1つ違えど、唯一同じ目線でピアノの事を話せる友だちになれて本当に嬉しかった。Mちゃんは母子家庭の私とも分け隔てなく仲良くしてくれた。

小学校の早い段階で己の実力を思い知り、ピアニストになりたいという夢は早々に諦めた。

よくオリンピック選手の親がその競技のプロであったり、元選手であったりするのと全く同じ世界なのだ。

自分は少しばかり人よりピアノを弾けると自惚れていた。

別にK先生はそれを思い知らせるために私にコンクールを受けるよう促したわけではない。その後も懲りずに受け続けたし、コンクールとは腕試しみたいなもんだと思うようになった。

これは後々知ったのであるが、コンクール上位入賞者は、たいてい審査員の先生の知り合いの弟子であったり、審査員の先生直々の生徒だったりする事が多いという事も知った。

それでも自分と同い年くらいの子の、べらぼうに上手い演奏には毎回度肝を抜かれた。

きっとこういう人たちが将来ピアニストになるんだろうな…。

ピアニストはある日突然なれるものではない。
小さい頃からの丁寧な練習の積み重ね、膨大な練習時間、師事する先生、何よりもそれら全てをカバーするだけの家庭環境や経済力、親の理解、全てをクリアしたある一定以上の人たちのみに与えられた選択なんだ。何もかも…スタート地点が違う。スタートラインにさえ自分は立っていなかった。

K先生は私に『コンクール受けることにも意義がある』とよく言っていた。

こうして『ピアニストになりたい』という夢は、小学2年生というかなり早い段階で砕け散った。


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