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はじめての舞台

母の教育方針…というほど大それたものはなかったと思う。世間では三歳児神話とか、教育ママとか自分の子を放置するネグレクト等という言葉もあるが、私の場合はどれにあてはまるのだろうか。


とりわけ幼少期(小学校入学未満)は母の趣味でクラシックコンサートの鑑賞、美術館巡りに毎週引っ張り回された。
日曜日になると、私に一張羅の服を着せて隣町の文化会館であるクラシック音楽のコンサート、車で1時間以上かけたところにある県立美術館、この2つしか出かけた記憶がない。子どもが好きそうな公園でもピクニックでもスケートでもない。
今から40年ほど前の話である。当時未就学児であった私はクラシック音楽のコンサートに入場できたのか…?できたのであろう。記憶にあるのだから。


クラシック音楽の意味も何もわからない、ただ黙って静かに音楽を聴くこと、それが私に課された課題であった。少しでも寝かけると、隣に座っている母から肘で突かれるか、膝の辺りをつねられた。起きて真っ直ぐ前を向いて、とにかく静かによくわからない退屈な音楽を聴かねばならない。


とある演奏会でのこと、確か有名なオーケストラの公演だったと思う。大人しく座って聴いていた私たち親子の側に、会場の男性スタッフらしき人物が声をかけてきた。『お嬢さんをお借りできないか?』という内容らしかった。
ちょうどピンク色のビロードのワンピースを着せられて大人しく座っていた小さな私が、舞台映えするようにその人には見えたのであろう。母はとても愛想よく微笑み、喜んで私を差し出した。
どうやら私は最後の花束贈呈の役に抜擢されたようだった。意味もわからず大きな花束を抱えて、指揮者のところまでトコトコ歩いていく。

しかし初めて立った大きな舞台は照明のせいでとてもチカチカ明るく眩しい。大きな花束を持ったまま途中まで歩き、ふと右を向いてしまった。

あまりに沢山の観客が私を見ている、急に怖くなった私は花束を指揮者のところまで持って行くことすら忘れ、右を向いたままその場で立ちすくんでしまった。するとそれをみた観客がドッと笑いながら大きな拍手をした。係員に誘導され、ようやく指揮者に花束を渡すが、2000人満席の観客の目が気になって仕方ない私は、指揮者の顔もろくに見ず舞台上でお客さんのほうを向いたまま呆然と立ちつくしてしまった。指揮者は私の頭を撫で、2人で2000人の観客のほうを向いて立つ。
またドッと笑いが起こった。明るすぎる照明、客席はとても暗く母がどこにいるのかさえ分からない。
怖くなった私は泣きそうになりながら、係員に誘導され舞台を後にした。初めての舞台デビューだった。
花束贈呈という大役にいきなり抜擢され、気をよくした母はホールスタッフの人に丁重にお礼を言い、何故か足早に私の手を引っ張り帰りの車に私を押し込んだ。


嫌な予感がした。母の顔色が変わっている。
車に押し込まれると同時に私は強くぶたれた。
『この恥晒し!何でちゃんと前を見て歩かないんだ!あんたのせいで私まで恥をかいた!皆に笑われたじゃないか!恥をかかせてこのバカ!』
家に着くまでの帰りの車内、おそらく40分くらいだったと思う、狭い車内の助手席で幾度となくハンドルを握る手とは反対の手で叩かれ、あらとあらゆる物で私を叩く。大声で怒鳴り散らされながら…私は怖くて怖くて、ごめんなさいを繰り返し泣き叫ぶ、泣いて泣いて母の気が済むまでそれは続いた。


せっかくいい服を着させて連れてきたのに、コンサートが台無しだ、お前のせいで私まで恥をかいた、連れてくるんじゃなかった!そんな散々な舞台デビューだった。あんな役、二度とやりたくない。


プライドの高い母は、花束贈呈の役を娘が抜擢されたまでは良かった、だが幼い私は何のことかわからず舞台上で気が動転し、客席を見てそのまま立ちすくんだ、2000人の観客はあらあらという感じで笑ったのであろうが、母にはそれが許せなかったのだろう。


今はほとんどのクラシックコンサートは未就学児は入れないことになっている。それでいい。

後に自分が舞台を歩くようになっても、絶対右を見ない、見たらダメ!右を見て良い事なんかひとつもない、真っ直ぐセンターまで歩け!心の中で呪文を唱えるようになった。

今でも小さい子どもが(と言っても小学生くらい)リサイタルの最後に花束を持って舞台を歩く姿を見ると自分の中の何かがチクチクする。
その子を鋭く見つめる母親をつい目で追ってしまう。
どうか、私と同じ目に遭いませんように…と心の中で願いながら。

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