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とある屋敷の読書日記No.2 希『妖姫のおとむらい』

 食べることは生きることだ。
 私たちの身体は、私たちが食べているものから作られる。私たちは能動的に、自分を何で作り上げるかということを選んでいるのだ。野菜を多く取らなくちゃ。タンパク質はこのくらい?炭水化物が足りてない。ビタミン、鉄分、食物繊維。油は不飽和脂肪酸でないと。
 健康に良いものを口にしていたら、健康になれる。甘いものを食べればきっと身体は甘くなって、花の蜜を吸って暮らせば死んでもきっと花になる。そのはずだ。食べたもので、私たちは形作られているのだから。
 では、この世のものではないものばかり口にしていれば、いつか自分もそうなってしまうのか?そう、なれるのか?
 ありとあらゆる問いの答えは、いつだって物語が教えてくれる。

 読書日記2冊目はこちら。

○希『妖姫のおとむらい』 ガガガ文庫,1999, ISBN:9784094516418


https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784094516418


あらすじ

幻想グルメをご堪能あれ。 

ある日、比良坂半は旅先で奇妙な空間に迷いこむ。
そこで妖の少女と出会い、未知なる食の存在を知る。

それからというもの、どうにも変な場所、変な空間に迷いこむ癖ができてしまったようで、以降たびたびそういった場所や者や物と遭遇してしまう。
それは旅愁とか郷愁に訴えかける、ちょっと古い時代の景色のように見えて、正確にはそうではない。
例えば古書に語られるような妖怪と出会ったり、一見猫の額程度の藪の中で、うろんな器物に迷わされたり、あるいは山奥の奇妙な村落で、幻の沼地を巡る儀式に巻きこまれたり──。
妖の少女、妖姫はそんな青年と行を共にして、彼を救ったり救わなかったり。
そうして青年は、時々発作的に訳のわからない食欲を妖の少女に催したりもして──。

第一話:「風鈴ライチの音色」
第二話:「焼き立て琥珀パンの匂い」
第三話:「ツグミ貝の杯の触り心地」
第四話:「ホロホロ肉の歯ごたえ」

幻想的な旅と、奇妙な味覚の数々。
そして、二人の旅はゆるゆると、続く――。

レイルソフト所属の実力派ライター希氏がおくる、幻想奇譚に乞うご期待!

(紀伊國屋書店ウェブストアより引用 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784094516418)



○以下感想 ネタバレあり

 Twitterで泉鏡花が好きだと言ったら、この本をおすすめしていただいた。
 早速届いた本の表紙を見てみると、美少女の足を恭しく舐める青年の絵。不思議と上品で、まるで絵画のよう。柔らかい椅子を選んで座って、紅茶をいれて、ゆっくり読もうとページを開いた。
 確かに文体は鏡花のエッセンスを感じる。が、それ以上に、雅さを保ちつつも読みやすくするすると物語が進んでいく様子が面白い。絵巻物の読み聞かせでもされているかのような読み心地。具体的な例えが想像に色と香りを与えている。非現実的な具体性というのは、幻想小説と相性が良い。涼やかな音色の甘味。透明色の郷愁の味。月の雫のような酒。知らないものを自由に、自分好みに想像するためのきっかけに、美しい世界の欠片を用意する。
 読み手の想像力をそのまま物語の力にしてしまう仕組みは、なるほど幻想綺譚を謳うにふさわしい。妖というのもはまっている。妖は、人を取り込み自身の養分とするものだ。読み手の想像が、感覚が、推測が、願望が、この本の深みを勝手に増幅してくれる。そのための道筋を、丁寧に示している作品だなあと感じた。

 同じ場所に留まると、食事の味がしなくなる奇病。
 もし罹患したら、私も彼と同様に放浪癖を持つだろうか。
 味のしない食事を受け入れて、平穏な日常を守るだろうか?
 食事ならば後者だろう。嗜好品としての食、味覚を使った体験行為は好きだけれど、健康のために毎日三食規定量適切な食事を「しなければならない」のは結構いやだ。しなくてもいい、してもいい、という状況で、完全に楽しめる状況で楽しみたい。明日までに作らなければいけない原稿があるだとか、今日中に動画編集を終わらせなければいけないだとか、そういったことがあると食の優先順位が下がってしまう。今すぐ手中の本を読む以外にすべきことなんかないと信じられるような瞬間、最高の映画を観るのに没頭して他の全てを意識から遠ざける時間が、生命維持のための食事によって水をさされてしまうのは悲しい。開き直って言ってしまえば、食事よりも好きなことが、大切だと思っていることが多すぎるのだ。
 食事の楽しみのために環境を頻繁に変えて、放浪のデメリットを引き受けてやっていくのは割に合わない。ディストピア飯も受け入れられる派。味がしない、まあ不味いわけじゃないならいけるんじゃないですか。放浪するのは普通に楽しそうだけれど。していないから配信頻度が高いです。

 けれど、これが本だったら話は別だ。
 小説を開いても、文字がぼやけて読めない。頭に入ってこない。同じ場所にいると、本が読めなくなってしまう奇病だったら……?
 考えるまでもなく放浪の旅に出る。本が読めない、それはつまり、生きていけないということだから。
 本を数日読まないーー読めない時も、人生には当然ある。忙しいと、好きなものに手を伸ばすことに罪悪感を覚えたり、それどころではなかったりするものだ。けれど、そういう時はなんだか息苦しいし、つまらないし、やる気も出ない。最近元気が出ないな、淡々とした毎日だな、気分も低空飛行だな、と思った時は、大体本が切れている時。初めてこのメカニズムに気付いた時は驚いた。自分が自分であるために、読書が必要だという事実。そんなことを気にする必要がないくらい、いつも本を読んでいたという事実。食費<本代も当然である。いくら食費の燃費が良くても、これじゃあエンゲル係数が低いとは言えない。
 趣味を一つ失ったくらいで人は死なない。本が読めなくなっても、私の人生は多分楽しいままだと思う。けれど、その私は、今の私とは少し違う。今の私から、読書は切り離せない。
 まあ、本が読めないなら頭の中で物語を空想して擬似的な物語体験をするだとか、オーディブルで耳から聞くだとか、やりようはあるんだろうけれど。
 彼と同じように、場所を変えて問題が解決するなら、喜んで流浪の旅をするだろう。
 そう考えると、半青年は食べることが好きなんだなあと思う。いいなあ。私も好きになりたい。羨ましい。読んでいる間、ずっと羨ましかった。その食べたいを、私はきちんと共感できているだろうか?
 林檎もフィナンシェも氷も好き。ラーメンも焼肉もお寿司もカレーも、梨も桃もケーキも好き。だけど、食べること、食べ続けることは多分、まだ愛せていない。
 味が好きと、行為が好きとでは大きく違うと思う。お友達のMちゃんは、食べることそのものが好きなのだと言っていた。満腹で幸福を感じる。生物として正しい感想だと思う。
 私も命あるもののはずなのに、なぜか満腹であることに幸福を感じる機能が欠落している。人間本能のようなものが全体的に嫌いだからなのかもしれないけれど、じゃあこの嫌いという気持ちが、プログラムされているはずの本能的快楽を上回っているということ?それはそれで自我が強すぎてどうかと思う。
 そんな私でも、味覚は快楽だと思う。
 なぜならこれも知る体験だから。食べたことがない美食を求める心と、読んだことがない傑作小説を求める心に違いはない。

 未知の味わいを知りたい、体験したい!この気持ちが描かれた本を読むのは面白い。なぜなら読者も、私も、その衝動を持ってこの本を開いたはずだから。
 本作は私たちが未来永劫食べることのできない、知ることのできないものを知った彼に、嫉妬しながら読む作品だった。

 誰かの身体に執着があり、そのために這いつくばって赦しを乞いながら施しを待つ、という殊勝な変態的願望の提示は嫌いではない。浅ましくて都合のいい望みを自覚している感じが好き。悪いと思っていながらも、欲望に負けている可哀想な愛らしさがある。開き直ってくれた方が、取り繕われるよりは真摯だろう。
 半青年の、笠縫と出会った時の正直な欲望の吐露はかなり好印象だった。一生叶わないといい。

 宿命的。だって、味がしないのだ。彼は初めから、味がする食材ーー普通ではない食べ物を求めて、普通ではない生き方を選択するほかない。風鈴ライチを食べるずっと前から、彼は違う場所へと赴く宿命を負っていたのではないか。黄泉竈食ひは、それを決定づけたに過ぎない。何かを食べて引き摺り込まれるなら、彼も本望なのではなかろうか。

 異界へ誘われるきっかけになるような、食べたら二度と戻れないような、「誘惑してくる食」が何か考えるのは楽しい。ロマンチックな理想に近いのは、透明で、もしくは赤くて、きらきらしていて艶やかで、甘い。罪って甘そう。赤い果実がいいなあ、すぐに朽ちてしまうようなものがいい。瞬間がわかるもの。境界をこえる瞬間が。
 無意識に、風鈴ライチとか琥珀パンらしい質感になった。
 ただ、これは甘美な空想で、多分私は赤くて甘い禁忌の実の誘惑には屈しない。多分全然ホロホロ肉。パフェと焼肉どちらかを未来永劫食べられなくなる、さあどっち!って言われたら焼肉選びますからね。存在が好きなのは林檎だけれど、味が好きなのは牛タン……。
 それだけに、最終話の美食風景には心掴まれた。美味しそうすぎる。食に執着のない私ですらそう思うのだから、ある側の人ならば尚更だろう。ああ、食べてみたい!

 この本が、読んでしまったら戻れなくなってしまう本、だったらいいなと思いながら頁を閉じた。今日はちょっと、こだわって食事を拵えてみようかな。

さて、こちらの本についても配信にて感想を語っている。この本を紹介してくださった這々底寝(@haibai_sokone)さんと、陶酔しながらじっくり語り明かしているので、もしよろしければアーカイブの方を確認してみてくださいな。

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