俳優オーディションに思うこと。スティーブン・スピルバーグ監督の公募動画オーディションに落ちて。

怪物が知り合いにいる。彼は自分で怪物になりたいと宣言しており、確かに怪物になるのは、こういう人なんだろうなと思う方。

日本を代表するスポーツチームでキャプテンを務められたり、最大手広告代理店でコピーを書いたり、年収1億円近く稼ぐ営業になったり、そして、ハリウッドで舞台に立ったり。それらを偶然だけではなく、ある程度、一定程度、意図的に未来を創り出している、その意志と行動に、素直に感動する。そうした生き様を見せられた時、彼の言葉を借りるなら、動物的に強さを感じる。

そんな彼からハリウッドで行われるcastingについて話をちろっと聞いた。ある程度、予想通りでもあるが、改めて、それを「きちんと」理解することが重要であろうなと思う。

結論

・役に合うか合わないか

・合う人が2人いたとしたら、どちらを出演させれば、儲かるか

その2点が判断軸となって、castingされている訳である。

少し話が変わるが、「cast it talent」でスティーブン・スティルバーグ監督の新作映画の日本人役、公募オーディションにも応募したわけだが、応募用ビデオを送ってから2ヶ月なにも連絡はないので落ちたのだろう。

役に合わなかったのだろうし、映画が収益を上げるために貢献できるような知名度も実績も何もない。

そもそもその役は、バイリンガルの役で、英語が「fluently」に話せなくてはいけないから、英語での会話の様子をビデオに収めはしたものの、バイリンガルの役には合わないなと判断されたことだろう。

能力がある無いではなく、合う合わないなのではあるが、そんな慰めを自分に向けつつ、単純に英語スキルが足らない自分の非力さも肝に銘じるべきではある。映画を儲けさせる力も無かった。

たとえば、inceptionのcastingでは、アジア人起用だけが決まっている。その役にはまりそうな人をcasting directorが数名準備するわけだ。それを(おそらく)監督が見て、「合う。合わない」と判断し、そして「この人は、中国で俳優をしております」「この人は無名です」「この人は、日本ではハリウッドスター的な扱いなので、出れば話題になります」などなど、各候補者のスペックを聞いて

「日本のハリウッドスターと言われているなら、日本市場でかいし、役にもはまりそうだし、いいね、彼出そう」

みたいな感じで決まっていくのだろう。

さて、ここまで書くと、演じている側からすると「夢も無い」「そんなビジネスライクな理由だけで決めるわけがない!」的な話も出てくるのかもしれない。

ただ、それは「相手の気持ち、決める側の判断軸」に対して想像力を働かしていると言えるのだろうか。一方的に、軽蔑をしても何も始まらない。自分には自分の思惑や譲れないものがあるように、相手にも相手の意図があるわけだ。

これもある意味、ビジネス、というと聞こえ方が異なるのだが、「相手に喜んでもらう思いやり」が必要なのだろう。相手が「選ぶ理由」を把握し、自分が「選ばれる理由」を作っておけるかどうか。

この意識が少ない人が「俺はこんなに頑張っている俳優なのに」「私の作品のメッセージや良さがわからないなんて、そいつがクソだ」みたいになる。

たーだ、たーだ、難しいのは、それくらい尖っていたほうが結果的に良い場合もありそうなわけで。バランスを取ろう、なんて言ったら、一番あかんやつな気もするわけで、このタイミングで言うのは。

とはいえ、演劇も「相手とのコミュニケーション」を標榜しているわけで。

舞台の上では相手のことを考えろ、とかえっらそうに言うけれど、舞台の外では途端に、尖った人然としだすのは、純粋に疑問を禁じえない時がある。尖った自分でいたい、という自我なのか。「自分の中に毒を持て」。これの真意を理解しないといけない、とズバッと自分の中に風は吹いたわけであるが。


オーディションする側の真意を汲み取る。個性、ものの考え方、経験を見たいそうだ、未来の俳優オーディション。


僕の個性。ものの考え方。経験。広告の世界では「差別化」というキーワードはよく出てくる。ただ、最近、差別化使用したらビミョー感も業界にはある気がする。

差別化とは、周りと違う、ということで。それを意識することはもちろん大事なのだけど、なのだけど、だけど、徹底して周りとかじゃなく、自分が自分の価値を高めまくれば、まわりとか関係無いくらい圧倒すれば、結局差別化できているじゃん、っていう考え方。

ただ、これも両面あって、NO戦略はいけてないとは思う。

戦略とは、いつもいつでも必要なものではない。戦略とは、必要な時に立てるべきもの。必要な時とは、環境が変化し、自分がどうしたら生存できるか、周りの影響で考えないといけない状況に置かれた時。

とすると、誰がどんなことをやってくるか分からない公募オーディションでは戦略はある程度必要になろう。

戦略は、いかに周りより、こいつ出したいと思われるか、という課題のもと、考えないといけない。周りは何者で、自分は何者か。ふつーーーの働いている人がオーディションに出てくるとは思えない。普段、何かに屈し、何かにふさぎ込まれ、何かに飢餓し、何かに作用を受け反作用を返せない、そんな「反発力」を持った人しか、わざわざ恥さらしな演劇活動をすることは無い気がする。

とすると、何か爆発的なものを表すのかもしれない。静かに燃やすのかもしれない。

それらと、一本やりで対決しても仕方ない。多面体を投げつける。

自分の中の多面体を、すべて、きらっと光らせることが重要だ。その一面一面の、色、深み、匂い、広さ、光沢、翳り、錆び、すべてが自分だと思って、表現しないといけない。

やっぱり、人生の振り返り喜怒哀楽には変わりない。それ以外に、自分は無い。

そして、「いま」「ここ」が、自分の人生である、という意識で臨むほかない。

おしゃべりな一方、筆不精ですが、がんばって色々書いていきたいと思います。反応の1つ1つが通知で届きますが、励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。