見出し画像

名ホテル松本十帖は誰もが持つ「潜在的な本好き」を蘇らせる装置だった

ロフト、画材屋、ホームセンターなど、気がつけば1時間、2時間と無限に時間を過ごせる場所がある。雑貨が好き、絵を描くのが趣味、DIYに関心がある、これらの理由がなくても長時間居られるのだとすれば、それはきっとキュレーションの力。何を仕入れてどう見せるかという棚づくりとかディレクションと呼ばれるその領域は、タネ明かしをされなければなぜ興味を惹かれるかこちら側にはわからない。

長野県にある松本十帖ではそんな体験をした。本が好きな人、かつてよく読書していたけど忙殺されて本好きだって忘れてる人、あるいは本が好きだなんて思ったこともない人。それらの人々にぜひ行ってもらいたい場所だった。お気づきだろうか、結局全ての人に行ってほしいということを。それほど素晴らしいホテルだった。

ホテルに泊まる時は大抵18時とか場合によっては食事を済ませてから21時ごろチェックインすることも多く、そうすると1泊ではそのホテルの魅力がほとんどわからないまま寝て起きてチェックアウトということもある。

今回は余すところなくホテルを楽しみたかったので、チェックインを15時にして、まずはホテルの部屋を堪能。私たちが泊まったのは、「おこもり書斎ベッド」という子どもの頃押入れで遊んだ記憶を想起させる秘密基地めいた空間があしらわれたデザイナーズツインだった。

ベッドの奥に見える空間が2段ベッド形式で区切られた空間になっている

正直おこもり書斎ベッドでも、ダブルベッド幅ぐらいはある。他にデイベッドもあるし、もうどこで寝ていいかわからない。ベッドパラダイス。できるだけ多くの場所に腰かけて私の尻を刻んでおいた。忙しかった。

脱衣所がないので、裸の付き合いができる人との相部屋をお勧めします
大浴場がない代わりに各部屋に露天風呂が!

大浴場がない代わりに、各部屋に露天風呂がある。これがとても良いと思った。夫婦ともに温泉は好きだけど大浴場がそこまで好きなわけではない。旅館の露天風呂って、いくつかの浴槽があって順番に巡りながら入るスタイルのところがあるが、あれが若干苦手なのだ。例えば自分がその浴槽に浸かっていて、しばらくしたら別の人が入ってくるとする。そうすると、なんとなく浴槽内の定員が決まっているような気がして、どちらかが出なければならない気がするというか。逆にすでに人が入ってる浴槽にわざわざ入っていくのも少し気が引ける。そんな露天風呂における駆け引きが(いや誰もそんなふうに思ってないだろうが)気になってしまう。もしかしたら無意識のうちに風呂に入っている時間で何かを考えたり、思いを馳せたりするのが好きだからそれを邪魔される気になっているのかもしれない。いずれにしてもややこしいやつだな、私。

こんなにややこしいかはさておいて、海外の人などスッポンポン大浴場カルチャーに不慣れな人は一定数いるのだろう。このホテルは元々老舗旅館なので、もちろん大浴場はあったが、リノベーションを機に大浴場は本屋に衣替えをしたのだ。

そしてこの本屋こそ松本十帖の真骨頂だった。

一面の赤い絨毯と床にそのまま座れるYogibooをそこかしこに配置しながら区切られた「おこもりスペース」は、誰にも邪魔されずに読書に耽ることができる本好きにはたまらない空間。

しかし、私がそれ以上に感動したのはかつての内風呂と思われるタイル張りの特等席。風呂から見上げると、四方に本棚が壁一面にそびえ立っており、視界に必ず本が入るように設計されている。鏡面になった天井にさえ映り込む本たち。あまりにも秀逸な設計に一気に引き込まれてしまった。

お風呂の中で本を読む気持ちよさは誰もが知っている

誰もいない薄暗い空間で水音だけが跳ね返るような心地よさ。

本棚に並べられたキャンドルの灯りがゆらゆらと揺れる。BGMにはジャズがかかっており、読書の邪魔にならないどころか、ジャズのおかげで本の中にさらに没入している自分に気づいた。ビーチでゆっくり本を読む時とはひとあじ違って、五感を刺激しながら意識を自分と本だけに注ぐ、瞑想とか禅に近い体験だった。


松本本箱に神が宿るのは夜

この松本本箱は予約すれば宿泊者じゃなくても訪れることはできる。でもその場合は17時までで、そこからは宿泊者しか使えない。20時になると本箱の一角にはドリンクコーナーが設けられ、ワインや甘酒を片手に読書に没頭することができる。ちょうど読みたかった又吉直樹の「月と散文」が目に入り、梅酒を注いでピンクのタイルの風呂場に座った。そこから2時間ぐらいの読書は、なんというか採れたて野菜のサラダを食べているようだった。言葉をムシャムシャと食べて、ゆっくりと頭で消化する、日常生活では感じられないとても尊い時間だった。浄化されたようでもあるし、足りない何かを補ってくれたような満ち足りた気持ち。

ボールプールで「南ちゃんを探せ」もやれる

そして驚いたのは、本好きじゃない夫が私と一緒に2時間も読書していたこと。蔵書が多いこともさることながら、やはりそのキュレーションが素晴らしいんだと気付かされた。「この空間なら何か読んでみようかな」という気になった時に、読みたい本がそこにあるってすごすぎる。考えたやつマジシャンかよ。(ディレクションと選書は幅允孝さんというその道の重鎮だった。幅さんが作った京都の鈍考という喫茶店も行ってみたい)

レストランの壁には世界中の料理に関する本が。インテリアとしても最高。

本屋自体は24時間利用可能だそうで本当なら一晩中居たかったが22時を回った頃、スタッフの方がやってきてキャンドルを消し掃除機をかけ始めたのでさすがに部屋に戻った。

本箱の本たちは部屋に持って入ることはできないらしく、それでも禅体験の続きをしたかった私は部屋に備え付けられた本箱に目をやった。すると、私が愛してやまない星野道夫や坂口安吾も並んでいた。松本本箱の宿泊室には「あの人の本箱」といって作家や文化人、著名人の自宅にある“お気に入り”から選書してもらった書籍が置かれているらしい。

この本箱は誰のだろう

好奇心をくすぐる仕掛けと自分の趣向と近しいラインナップが揃っている喜びでたちまち心が満たされた。「旅する木」を2章だけ読んで眠りについた。

気になるお値段は

今回のお宿代は1泊2食付き84000円。正直安くはない。でも事前決済を利用したり、部屋を変えたり素泊まりにすれば3万円台からのプランもある。

私たちが泊まった時は欧米のお客さんが半分ぐらいだったので、円安の今は海外勢の方が多そう。1年に一度のデトックスにはちょうど良いので、在外者の一時帰国や家族との旅行にももってこいだと思う。

お食事も全てベジタリアン対応していただきました
長野県伊那市で醸造してるビール。来年の父の日ギフト確定。

これから始まる日本の暑い夏。体力を消耗する遊びよりメンタルの栄養補給の旅にいきましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?