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中学、高校時代、トゥレットで私が潰れなかった理由

それについていきなり何故か、

を言いますと、

自分を理解してくれるコミュニティーがあったから。

です。

正直、これに尽きると思います。


あの頃の私には、家族という理解者の他に

まったくの他人で理解してくださる人が必要だったと思います。


学校の先生やクラスメイト、家族というのは、理解してくれていても、

私の中ではその中の人として認めることができなかったのです。

どうしてもそれ以外のコミュニティーなどで自分を認めてくれる人がほしかったのです。


病気の本人からすると、

目の前の人が自分を認めてくれているかどうか、

自分が心を許していいのかどうかということは、

理論理屈でなく、感じとして分かるものです。


自分を変な目で見ない人というのは

分かるのです。


あるとき、母と、自然の中で活動している、あるコミュニティーに参加したことがありました。


不思議なことに、その環境がどのような環境であるかというのも肌で感じるもので、

私は

その環境にいることが、とても居心地が良かったのです。

縁とは分からないところに本当にあるものでして、そこは、

10年後の私の職場となりました。


私がそこへ行きだして間もないころ、

母は、私が病気であること、

そのコミュニティーのオーナーに伝えたそうです。

そうしましたら、そのオーナーは、

間髪入れず、一言、

「全然気にしなくて良いですよ。病気良くなりますから。」

と言ったそうです。

私にはありがたい話でした。

そこでの皆さんは、私のことを悪く言っている感じは全くなく、

安心して付き合っていい感じがしました。

行くごとに私はそこが好きになっていきまして、

そのコミュニティーでやっていること自体も好きになっていきました。

年会費とかそういったものはお支払いしておりましたが、

来られている皆様も払っていたわけですし、

オーナーにも生活があります。

ですので納得してお支払いしていたと思います。


学校はというと、楽しくもなかってですし、正直、しんどかったです。


そのコミュニティーが私の逃げ道、

ほっとできる場所になっていたのです。


あの時、中学時代、高校時代にあのコミュニティーに所属できたのは、

病気の私でも何か先にいってできることがあるのかもしれない。

と心のどこかで思えた価値あることだったように思います。


人間、逃げ道は必要です。

逃げ道がないと、人間は簡単に潰れます。


私にとって、居心地の良い、たくさんの人との場所、

そんなコミュニティーが私の心の支えだったのだと思います。


親御さんにお願いです。

できればのお願いです。

お父さん、お母さんもしてみたいことで、

お子さまも是非誘ってみて、

お子さまがそれをしたい意思表示がありましたら、

お子様にさせてあげてください。

そしてその環境は親御さんも一緒に楽しんでください。


親子で楽しめるものがあり、

親子で信頼できるものがあれば、

きっと救われます。


あなたと、ご家族の皆様、

どうか幸ある人生を創られてください。


        こしやま

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