noteの需要について【影響力がある人は批判される】
今日もnoteを更新する。
noteを毎日更新するのは、僕のなかではもう日常化している。
偉そうなことを言うわけではないが、1年間更新したんだ。
習慣化に成功した、といってもいいだろう。
なんてのはよく言われている。
最近では『習慣化のコンサル』なんてのが仕事になるくらいだ。
習慣化に頼りたい人が多いからこそ、こんな仕事も成り立つのだろう。
需要があるから、仕事は成り立つ。
習慣化のコンサル、にはその人が実際にやった経験が大事だ。
という人が、数記事しか書いていなければ、そんな人のコンサルは受けたくない。
なので、noteの習慣化のコツを教えます!
というノウハウを教えるのなら、まずその人がnoteを習慣化していなければいけない。
だれも、習慣化していない人の言うことなんて聞かないからだ。
なんて気持ちにもなる。
noteを習慣化する方法!
上記のような、タイトルにすれば、見たい人も少しは増えると思う。
だけど、書きたくないな、と思う。
なぜなら、楽しくなさそうだからだ。
と言いたくなる人は多いと思う。
そうだ。その通りだ。
ビジネスをするのなら、楽しいこと、やりたいことだけでは上手く行かない。
みんなが、楽しくない、やりたくないことを敢えてやるからこそ、そこには価値が生まれる。
noteでやりたくないこととは
ということは、noteに限った話で言えば、noteでやりたくないことを敢えて自分がやれば、そこにはある程度の価値ができるのかもしれない。
しかし、noteでみんながやりたくないことってなんだ?
毎日更新?
鬼のような長文note?
あまり見たことがない、noteでの音声配信?
上記のものは確かにやりたくない。
というか、②と③はまず、需要がないだろう。
鬼のような長文noteは、読むのがめんどくさいし、
noteでの音声配信は、まず誰もやっていないから、それほど需要がないという答えになる。
じゃあ、やはり毎日更新か?
毎日更新はやりたくない人が多いけど、需要あるのか?
なんて人はよく見かけるような気がするのだが、それは気のせいか?
毎日更新なんて誰でもできる!
上記のようなタイトルにすれば、
方法を知りたい人
批判したい人
共感する人
に需要が生まれると思う。
この中では、批判したい人がこわい。
しかし、それはそれでいいのだとも思う。
批判されたときこそ、自分に影響力が出てきた、という証になる。
批判されてみたい
筆の赴くまま、
もとい、キーボードの赴くままに文章を書いてみたら、批判されてみたい、というおかしな着地点になった。
そういえば僕は、1年毎日更新をしていて、批判されたことがない。
というのはわかる。
しかし、1年毎日更新しているんだ。
なかには僕を、ぶっ叩きたい人が出てきたっておかしくないのに、そんな人は皆無だ。
ということはなんだ?
noteという媒体は、それほど平和なのか?
それか、あまり活発ではない媒体なのか?
違う。
僕は誰にも把握されていないのだ。笑
ヤバい、なんとも悲しい結論だ。笑
まぁ、いい。それでもnoteを書くのは楽しいから。
ということで、これからも駄文を書こう。
そんなことを思った、日曜日の午前中でした。
以上です。
お付き合いいただき、ありがとうございました!
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