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「恥ずかしいからやめよう」をやめよう

こんにちは、恥ずかしいことが嫌いなコーシローです。
先日、お祭りでバンド演奏を見ました。

僕も昔バンドをやっていたこともあり、演奏を見ていると

「久しぶりに自分もバンドをやりたいな」

なんてことを思いました。
それと同時に、

「でも僕は演奏が下手だから恥ずかしいしな…」

なんてことも同時に思った。
これ、どう思いますか?

恥ずかしいから自分のしたいことをしない選択をする。
これって、どうかと思うんです。

本当にやりたいことがあるのに、

「恥ずかしいからやめよう…」

なんて思うことは邪魔な感情でしかない。

恥ずかしいという感情がなければ自分の好きなことを思う存分にできるのに…。
なんてことを思ったことがある人は多いのでは無いでしょうか?

恥ずかしい感情がある理由

そもそもですが、恥ずかしいという感情はなぜ人間に備わっているのか。
人間に恥ずかしいという感情がある理由は、

『ハブられないため』

です。

ハブられないためとはどうゆうことか。
人間は元々群れをなして生きてきた生き物。

太古の昔から人間は、群れをなして生活していました。
なぜ群れをなしていたか。

それは単純に、生存確率を上げるためです。
たとえば、狩猟採集時代の人間は集団で狩りをすることで生存確率を上げることができます。

そのため人間が恐れるのは、孤立すること。
生存確率を上げるために人間は孤立してはいけない。

恥ずかしいという感情は、他の人と違う行動をすることで起きる感情です。そのため、人間に恥ずかしいという感情がある理由は、

『孤立しないため』

ということになるんです。

現代ではあまり必要ない

恥ずかしいは太古の昔の人間には必要な感情だということがわかりました。
しかし、現代人にとって、この恥ずかしいという感情は必要でしょうか?

おそらくほとんどの人は、

『必要ない』

と思うのでは無いでしょうか?

なぜなら、恥ずかしいという感情を持ち合わせていると、自分の好きなことができなくなるから。

冒頭で僕が、

「バンドをしたいけど、恥ずかしいからやめよう…」

なんてのはまさにこの『恥ずかしい』が、邪魔になって好きなことができないという典型例。
こうなってはいけない。

やりたいことがあるのに恥ずかしいからしない、は必ず人生の後半で後悔することになる。
であればどうすればいいか。

まずは『恥ずかしいからやめよう』と思っていることを自覚しなくては行けないと思うんです。

『恥ずかしいからやめよう』をやめよう

恥ずかしいからやめようを、やめなくてはいけない。

そのためにはまず自分が『恥ずかしいからやめよう』と思っていることを自覚しなくてはいけないと思います。

たとえば、先程の僕を例にするならば、

「あっ僕は今、下手くそで恥ずかしいからバンドをやめようとしている…」

なんてことを自覚しなくてはいけない。
自覚することができれば、それを改善することもできる。

というか、合理的に考えれば恥ずかしいから辞めるってどう考えてもおかしいことだということがわかります。

なぜなら、恥ずかしいからやらないってのは、要は現状維持に務めるということ。
現状維持ではなにも成長はしません。

言うまでもなく人間は常に変化することで発展してきた生き物。
変化無くしては、人間はここまで発展することはできなかった。

だからこそ、『恥ずかしいから辞めよう』は人間の成長にはつながらないのでは無いかと思うんです。

恥ずかしいことを積極的にしていこう

恥ずかしいことを積極的にしていこうと思うんです。
なぜなら、恥ずかしいことをして変化することが自分の成長につながるのではないかと思うから。

このnoteも言うなれば、恥ずかしいことです。
自分の文章を全世界に公開しているって考えてみれば、ものすごく恥ずかしいこと。

上手い人なら良いのでしょうが、見ての通り僕は文章が下手。
そんな恥ずかしい行為を堂々としているって、よく考えれば変態行為そのものです。

結論、

『物書きは変態である』

です。
異論は認めます。

そういえば、僕の好きなライターさんの一人、『田中泰延さん』もこのような言葉をTwitterでつぶやいていました。

これからも僕は頭のおかしい、恥ずかしい行為を続けていこうと思います。

では、お疲れ様でした。

サポートされると、僕が喜びます。僕が喜ぶと、文章のノリがポジティブになります。