野次馬心理とシャーデンフロイデ
『他人の不幸は蜜の味』
なんて言葉がありますよね。
ドイツ語でシャーデンフロイデなんて呼ばれるこの心理。
出来れば持ちたくない心理ではありますが、どうしてもこのシャーデンフロイデが起きてしまう時ってありますよね。
たとえば、野次馬をするときなんかにも、シャーデンフロイデに近い感情があるのではないかと。
今日、僕の職場の近くで火事があったのですが、この時野次馬根性が出てしまった。
「どこで火事が起きたんだ!?」
「〇〇の方に消防車が向かったから、あそこの家かもしれないぞ!!」
などと、言い方は悪いですが職場は盛り上がる。
盛り上がった野次馬根性は、更に悪質になり、僕の職場ではわざわざ車を駆り出して、火事を見に行った同僚もいる。
いうまでもなく、それはやり過ぎ。
消火活動の邪魔にもなりますし、車を駆り出して火事を見に行くのは、やり過ぎです。
なんて、野次馬根性丸出しの同僚がいるから、我に返ることはできましたが、正直な話し、僕も気になるというのが本音です。
なぜ、こんな心理が起きてしまうのか。
持ちたくない心理ですが、どんな人でも野次馬根性がゼロの人はいないのではないか。
ということで、今回は野次馬根性とシャーデンフロイデについて考えてみたいと思います。
シャーデンフロイデとは
シャーデンフロイデとは、
他人の不幸や失敗を見て喜ぶ気持ち。ざまを見ろ、いい気味だと思うこと。
言葉としての意味は上記のようですが、そもそも、シャーデンフロイデという心理がなぜ起きるのか。
シャーデンフロイデが起きるのは、誰かが不幸になれば、自分に利益が回ってくる可能性があるからです。
たとえば、職場で自分の上司がなにかミスをして、降格になるとします。
その場合、上司が降格することで、自分がそ立場に上がれる可能性がでてきます。
誰かの立場が下がれば、自分にお鉢が回ってくる可能性がある。
だからこそ、人間にはシャーデンフロイデという心理が起きるわけです。
野次馬根性とはなにか
シャーデンフロイデが人間に起きる意味はわかりましたが、野次馬心理とはなにか。
同じような心理状態のような気がしますが、その違いはなにか、です。
野次馬とは、
自分に関係のないことに、興味本位で騒ぎ立て、見物すること。また、人のしりについて騒ぎ回ること。また、その人々。
繰り返しですが、シャーデンフロイデとは、
他人の不幸や失敗を見て喜ぶ気持ち。ざまを見ろ、いい気味だと思うこと。
シャーデンフロイデは、他人の不幸を喜びますが、野次馬には、不幸を喜ぶ感情はない。
野次馬はあくまで、興味本位で騒ぐことのみを指しています。
せめて野次馬だけにおさめよう
シャーデンフロイデと、野次馬には明確な違いがある。
野次馬をしているときに、「ざまぁみろ」と思えばそれはシャーデンフロイデになります。
ということで、ムリヤリ結論。
『せめて野次馬するだけに収めよう』
です。
「ざまぁみろ」なんて感情にはなんの利益もありません。
というか、「ざまぁみろ」と思うことで、周りから嫌な奴認定される怖れがあるので、不利益しかありませんね。
そんな訳で、
『他人の不幸を喜んでも自分にはなんの得もない』
ということを伝えて終了です!
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