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サンタを信じたことが無い

 クリスマスまで1週間となり、外に出るとチキンだケーキだイルミネーションだと人々が浮かれている。
私もクリスマスにかこつけて、普段は売られていない特別なケーキを注文したりしているので何も文句は言えない。
日本全国酒飲み音頭は「12月はドサクサで酒が飲めるぞ」から「12月はクリスマスで酒が飲めるぞ」に歌詞を変えたほうがいいんじゃなかろうか。

 クリスマスは完全に日本の文化に溶け込んでいて、これは子供達にせっせとプレゼントを配り歩くサンタと呼ばれる赤い服を着た長い髭の老人に関する記憶の刷り込みの賜物だと思う。

 ただ一つ、疑問がある。
サンタの老人の正体が親だと気付くきっかけについては耳にする機会があるのだが、そもそもサンタを信じるきっかけは何?ということだ。

 物心ついてから初めてのクリスマス、保育園では「サンタさんにお手紙を送りましょう!」という授業があった。
皆が覚えたてのひらがなで『きょうだいがほしい』とか『げーむぼーいがほしい』とか、色々と便箋に書いていた。
私はそれをぼけーっと見て、漠然と『クリスマスは欲しいものをお願いする日なんだ』と理解した。
ただ、特に欲しいものもなかったので、適当に絵を描いて終わりにした(文字の覚えが遅い子も絵を描いたり綺麗な紙を切って貼ったりしていたので、違和感は薄かった)。
 家に帰って「クリスマスってのは欲しいもんもらえるらしいで」と母親に言うと、「良い子やったらな」と返された。
夜になって、酔っ払った父親に「会社の人に貰ってな」と、不細工なニワトリのぬいぐるみを渡された。

翌朝、枕元にプレゼントはなかった。
・良い子には欲しがっていたプレゼント。
・悪い子にはプレゼントは無し。
・中途半端に良い子には、欲しくないプレゼントがなんらかの方法で手に渡る
と理解した。

 登園すると、友達が興奮気味に「サンタがプレゼントを置いて行ってくれた!」とか「私はサンタさん見た!」とか話してくれた。
途中まではそれを作り笑いで聞いていたが、少なくともこの子よりは良い子として過ごしてきただろうという大変な問題児がその輪に入ってきた瞬間、私はサンタを信じるきっかけを失った。

 ちなみに、
次の年は「団地には煙突ないから」
その次の年は「うちは真言宗やから」
極め付けは「うちは貧乏やから」
と何かと理由を説明されていた。
「もはや良い子とか関係無いやん。家の問題やん」
と悪態をついたら頬を叩かれた。
サンタはついぞ家に来なかった。

 小学校に上がった頃に見かねた親類が親に何かを言ったのか、初めて枕元にプレゼントが置いてあった。
綺麗な包み紙に一瞬心躍るのを感じたが、開けるとセンスの欠片もないマフラーが置いてあった。
何をどう考えたら、この色を組み合わてチェック柄にしようという破滅的なデザインが生まれるんだろうと逆に興味深くなるような一品だった。
登校前に感謝の手紙を無理やり書かされ、ませた同級生の子から「そのマフラーほんまダサいな」と笑われ、とにかくその日は散々だった。

 嫌な思い出が尾を引いたのと、子供は風の子と言うように薄着でも平気だったので、そのマフラーの出番は殆ど来ないまま1年近くを過ごした。
そしてある冬の日、
「あんた、サンタ信じてへんやろ」
と母に聞かれた。
『はい』か『うん』以外の返事が受け付けられなくなっていたこの頃の我が家で、何も考えず咄嗟に「うん」と返すと、
「じゃあこのマフラーはお母さんが使うから返してもらうで」
と言われた。
今、「返してもらう」って……。

 『良い子』とは『愛想の良い子』だと学んだ冬だった。

 中学生の時の職業体験がたまたま幼稚園に決まり、クリスマス会の日程と重なった。
園の先生扮するサンタを明らかに違う目つきで見るませた子が年中くらいから現れ始める。
友達同士でニコニコしながら耳打ちをし合う姿が印象的で、今でもよく覚えている。
耳打ちをするということは、その子達は殆どの同級生がサンタを信じている空気をきちんと読み取り、仲間内以外には決して聞こえないように注意しているということだ。
しかもニコニコしているので、それを内緒話の話題の一つとして楽しむ心の余裕も伺える。

 その子たちにキャロットケーキを配る時は自分の暗澹たる記憶のせいでなんとも言えない気持ちになったが、少なくとも他の誰の夢も壊さない良い子たちだったと今では思う。


 大学進学をきっかけに家を出て、今年で11年目になる。
まだ干支も一周していないくらいだ。
会社のある先輩が自分の人生を振り返ってふと気付いた含蓄に富んだ話を度々してくれるのだけど、私は最近ようやく自我が芽生え始めたばかりのような気持ちだ。
一人暮らしを始めたのが新しい人生の始まりだと思うと、私はまだ11歳。
11歳と言えば小学校高学年で、まだまだサンタを信じる純粋な子もクラスにいたりした。

 実際には30の私もそんな純粋な子供のつもりで、自分で予約したケーキとチキンとサンタさん(という名のAmazon)のプレゼントを心待ちにして、最近日々を過ごしている。

 クリスマスくらいは、夢をみてもいいんじゃないでしょうか。

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